マクリーン事件判決(最大判昭53・10・4)

マクリーン事件判決(最大判昭53・10・4)

 外国人の人権問題の基礎みたいな判決です。
 まあ裏事情はいろいろとあるんですがね…

事案
  • 一年の在留期間中の間に政治活動をしたとして在留期間延長を拒否されたマクリーン氏が争った事件。一審は請求認容されたものの、控訴審で破棄棄却され上告

判決
  1. 上告棄却
  2. 理由
    1.  憲法22条1項は、日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人がわが国に入国することについてはなんら規定していないものであり、このことは、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができるものとされていることと、その考えを同じくするものと解される。したがつて、憲法上、外国人は、わが国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、所論のように在留の権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものでもないと解すべきである。……
    2.  出入国管理令が原則として一定の期間を限つて外国人のわが国への上陸及び在留を許しその期間の更新は法務大臣がこれを適当と認めるに足りる相当の理由があると判断した場合に限り許可することとしているのは、法務大臣に一定の期間ごとに当該外国人の在留中の状況、在留の必要性・相当性等を審査して在留の許否を決定させようとする趣旨に出たものであり、そして、在留期間の更新事由が概括的に規定されその判断基準が特に定められていないのは、更新事由の有無の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広汎なものとする趣旨からであると解される。このような点にかんがみると、出入国管理令21条3項所定の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断における法務大臣の裁量権の範囲が広汎なものとされているのは当然のことであつて、所論のように上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新申請を不許可にすることは許されないと解すべきものではない。
    3.  裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるものと解するのが、相当である。
    4.  思うに、憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。しかしながら、前述のように、外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではなく、ただ、出入国管理令上法務大臣がその裁量により更新を適当と認めるに足りる相当の理由があると判断する場合に限り在留期間の更新を受けることができる地位を与えられているにすぎないものであり、したがつて、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当であつて、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障、すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしやくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない。
    5.  前述の上告人の在留期間中のいわゆる政治活動は、その行動の態様などからみて直ちに憲法の保障が及ばない政治活動であるとはいえない。しかしながら、上告人の右活動のなかには、わが国の出入国管理政策に対する非難行動、あるいはアメリカ合衆国の極東政策ひいては日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に対する抗議行動のようにわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものも含まれており、被上告人が、当時の内外の情勢にかんがみ、上告人の右活動を日本国にとつて好ましいものではないと評価し、また、上告人の右活動から同人を将来日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者と認めて、在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、その事実の評価が明白に合理性を欠き、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいえず、他に被上告人の判断につき裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたことをうかがわせるに足りる事情の存在が確定されていない本件においては、被上告人の本件処分を違法であると判断することはできないものといわなければならない。また、被上告人が前述の上告人の政治活動をしんしやくして在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないとし本件処分をしたことによつて、なんら所論の違憲の問題は生じないというべきである。

解説
 1960年代から70年代にかけては、それこそベトナム反戦運動とかを中心に、左派的な運動が熱心に展開された時期です。そんな中で、ベトナム反戦運動等に参加した外国人に対してなされた在留不許可処分を取り消すべきか否か、それが争われたのが本件です。

 この事件、争点がいろいろとありすぎて面白いのではありますが、反面混乱しやすい事件でもあります。

 まず枝番1で、在留の自由が争われています。
 ここで裁判所は、憲法22条1項(居住・移転の自由)は入国の自由までは保障していないといっています。まあそりゃ自由に入国できてしまうとするならば大問題でしょう。
 で、在留の自由は、入国の自由と同視することによって、これもまた認められないとするわけです。
 確かに入国審査と在留許可審査というのは似たような部分はあるのかもしれません。ただ問題は、入国の場合は情報が日本国内にないので慎重になるのは当然だとしても、在留の場合は日本に情報があるからそこまで慎重になる必要性はないのでは?ってことなんですよね。
 むしろ日本での活動が不利益に影響する可能性も否定できないわけで、その点は考慮すべきだったようにも思います。

 その枝番1を受けて、枝番2でその在留許可については、法務大臣の広い裁量に委ねられるとしています。
 行政権の裁量、というのは実は危険なものではあるのですが、反面現実に起こりうる事案すべてを事前に予測して法として規定するというのは現実的ではないんですね。また立法府よりも行政のほうが専門的な判断ができる、という側面もあります。
 ゆえに行政権の裁量というのは認めざるを得ないんですね。まああまり広いものも考え物ですが…

 枝番2を受けて、枝番3では、行政訴訟における行政裁量の審査の範囲を示しています。
 行政事件訴訟法30条は、行政裁量については裁量権の踰越(ゆえつ)・濫用があった場合のみ判断の対象にする、としています。
 踰越(ゆえつ)とはその権限からはみ出してしまうこと、濫用とは権限内の行為ではあるのですがその意図が不当なことですね。
 ただ、この部分も分かりにくいので、ここで判断基準を示すわけです。具体的には重要な事実の誤認とか、判断が事実を基礎としてないとか、社会通念から見て妥当性を欠くとか、そういうパターンに限定するわけです。
 実はこの枝番3の部分って、意外に憲法判例集とかでは語られないんですが、行政法の分野では結構重要だったりします。

 枝番4からは具体的に裁量の逸脱・濫用があったかどうかの判断です。具体的には政治活動を行ったことを裁量判断のマイナス要因として組み込んでいいかです。
 ここでマクリーン事件といえばここ、という文章が出てきますね。「基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当」ってものです。これで、外国人にも制限的ではあるけど人権は保障されるとします。
 もっとも、入国・在留はそもそも人権として保障されてなく、入国や在留はあくまでも法相の裁量であること、そしてその裁量の判断の中において人権行使がマイナスに評価されても違法ではないということを挙げています。
 で、枝番5はその規範を具体的な事実にはめ込んでる、って感じです。

 改めて読んでみると、なんか変な判決だな、って感じがします。
 確かに入国や在留は法務大臣の裁量、ってのはやむを得ないでしょう。確かに自由に国に入られたらそりゃそれで危険には違いない。
 しかしその判断の中に人権行使をマイナスに組み込んでいくというのを妥当と言い切っちゃうのはどうなのか?って感じがします。まして、人権保障は日本国民のみに認められたものを除き認められる、と言い切っているわけで。
 あと外国人の政治活動の自由も「我が国の政治的意思決定」に反しない限りは問題ないとしているわけで。
 ただ、この「我が国の政治的意思決定に反しない」ってどのレベルなのかってのが分からないし、そこが裁判官によって違ってくるような気もするんですけどね…
 極端に広くも狭くも解することができるわけで。
 しかもベトナム反戦的な言論だけでそこに影響を与える、ってのも違和感あります。

 でもまあその辺はどうもこの人のやっていた運動と関わりがあるのかな、って感じがしますけどね。どうやら控訴審の判決文見る限り、やっていた運動がいわゆる日本でのべ平連の活動みたいな生やさしいものではなく、もっと過激なタイプだったことらしいこと、あと出入国管理法反対運動をやっていたことなんかが書いてあります。実はこの辺り、学者の判例解説とかだと結構ごまかして書いてある部分なんですが。まあ確かに人権を広く認めようとする立場の人たちにとっては、こういう活動の履歴は不都合だろうなあ…って感じがします。
 確かに学者や人権派弁護士にとっちゃ「人権を行使する者」は絶対的な正義でないとまずいんだろうなあ…って気がします。
(ちなみに学者解説の判例本は、事案解説でごまかしている部分が結構多く、例えば西山事件の情報取得の経緯とかはあまり語りたがらない部分ではあります)

 しかしそうだとするならば、外国人の政治活動を全部が全部ダメみたいな言い方をするのは、ちょっと違うんじゃないの?って感じがします。大体判決文内部で矛盾しちゃうわけですし。
 それなら、政治活動の自由は認められる→しかし人権は内在的制約に服する、という典型的な制約論にしちゃって、本件だけを裁量として認められる、としたほうが良かったんじゃないか、って感じがします。

 あとこれは憲法学者の皆様の問題なんでしょうが、この事件を在留の自由と、外国人の人権共有主体性の問題だけにしてしまうんですよね。でもこの事件は、在留許可の裁量性と行政訴訟時の裁量の判断のあり方という論点も存在するわけですから、そこを無視した議論は危険かな、って感じがします。
 まあ判例を複合的に見れるようになれば、単純にそう捉える見方も減ってくるのかもしれませんが。








最終更新:2010年04月29日 14:17
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