『リゾナンターЯ(イア)』 56回目




今でも、前田憂佳は思い出す。
あの日のことを。

「まえだ、ゆうかちゃんだよね」

ダークネスの本拠地。
造られた能力者の卵である「エッグ」と呼ばれた彼女たちはその日、ミーティングルームに集められていた。い
ずれも年端も行かぬ子供たち。彼女たちはまだ自分達がどういう存在なのか、これからどういう目に遭うのかす
ら知らない。

右も左もわからない憂佳に、声をかけてくれた色黒の少女。
大きな瞳と、くっきりとした顔立ちが特徴の女の子は怪訝そうにこちらを見る相手に続けて、

「あやってゆうよ。ゆうかちゃんって、呼んでもいい? あやのことは、あやかちゃんって呼んでね」

そう言ってにっこりと微笑んだ。
その時。何故かはわからない。けれど、心が救われたような気がした。
同時に、その屈託の無い笑顔は憂佳の心に深く刻み付けられる。
この子の笑顔を曇らせてはいけない。それを護るためなら、何でもしよう。憂佳は心にそう誓った。和田彩花が
大事にしていた親友を喪ってしまった時、その右腕を自らに移植してでも彼女の代わりになろうと努めた。

言わば、彩花は憂佳の生きる道しるべ。
だからこそ、憂佳はその身を引き裂かれる。
争いを避けたいという思いと。
彩花のためなら血の流れる戦場に立つことも厭わないという思いによって。


「赤の粛清」が、凶弾に倒れる。
膝をつき、瓦礫に崩れ落ちそうになるのを踏み止まる粛清人。
勝負ありと見た憂佳が、光学迷彩を解除した。
すっかり自らの体を復元させた紗季は、他の三人の様子を窺う。

「しぶといね」
「まだだよ。まだ、生きてる」

花音が注意深く、標的を凝視していた。
紗季のナイフに刺し貫かれ、彩花の放った超加速の弾丸を受けて瀕死のはずの粛清人は。
それでも目の光を失うことなく、彩花へと視線を向けている。

「彩花ちゃん、気をつけて」
「だいじょうぶだよぉ、もう虫の息じゃん」

言いながら、足元の小石を拾い上げる彩花。
一思いに、頭を打ち抜く。自分達「スマイレージ」がダークネスの幹部の一角を崩すという、大仕事を達成する
事実がそこに成立する。

期待に高揚する紗季や花音に比べ、憂佳の表情は冴えない。
それは、栄光の陰に一つの命が消えてゆくという現実から目を背けることができないから。自分は戦場に向いて
いないのだろうか。いや、向いている向いていない以前に、それでも彼女は戦場に立たなければならないと自ら
を律する。彼女を照らしてくれた太陽が、そこにある限り。

「勝手に終わりにしないでくれるかなあ。楽しみはまだこれからでしょ?」
「強がりもそこまで来ると滑稽さぁ。でも大丈夫。彩が、楽にしてあげる」

黒い外套を広げ、「赤の粛清」が彩花に襲い掛かる。
しかし最早爆発の力すら使えないほどに弱っているのか、肉弾戦に終始してしまう粛清人。血に塗れた手が彩花
の服を、膝を掠めそこに朱の痕跡を残す。それのみだ。いささかも、ダメージを与えられない。

「彩、飽きちゃった。そろそろ止めを刺してもいい?」
「…もう終わりにするの?あたしも、素敵な『四重奏』のお礼がしたいんだけど」

人を殺すのが生業の粛清人から『四重奏』という言葉が出てくることに感心する彩花。
おそらくスマイレージ四人のコンビネーションを弦楽器のそれに見立てているのだろう。
だが、死に行くものの賛辞など心に響かない。

「お礼出すならあの世の郵便屋さんにお願いして。バイバイ」
「遠慮しないで受け取ってよ、ほら!」

彩花の視界が突然、赤に染まる。
粛清人の傷口から、鮮血が噴き出し顔に直撃したのだ。

「起爆(イグニッション)」

さらに、彩花が血の跡を付けられた箇所すべてが、閃光を帯びる。
爆発。そう、「赤の粛清」の血液は自らの意思により自在に起爆することのできる、言わば液体の遠隔操作式爆弾。

「ぐ…あ…あぁあああっ!!!!!」

無意識のうちに、「加速度操作」の能力を発動させる彩花。
体中から発生する爆発の衝撃波のダメージを和らげるための、無意識の行動。

だが。
発生する高熱からは、逃げられない。
むしろ、高熱状態を維持する事でより深いダメージを負うことになってしまう。
結果、彩花は成すすべも無く爆発の餌食となり、無残にも瓦礫の上を転げ回ってしまった。

「あんたたち四人の連携による『四重奏』。確かに四人揃った時の力は目を見張るものがあるけど反面、一人で
も欠けるとその効果は半減してしまう」

「赤の粛清」は戦闘狂だ。
常に血を追い求め、そのために反逆者を狩る生まれながらの戦闘マシーン。
例えば。「黒の粛清」なら卑劣な罠に相手を追い込んで弱りゆく姿を楽しみながら標的を狩るだろう。例えば。
「黒翼の悪魔」なら、「四重奏」を力押しで突き崩して勝利を得るだろう。
そして「赤の粛清」はサイボーグさながらの論理的な思考で、戦闘を有利に運ぶ。

「てめえええ!!!!!」

彩花をやられ、激昂した紗季が「赤の粛清」に向かって走り出す。
すぐさま、自分と紗季の間に空気の地雷を展開する粛清人。それでも構わず、紗季はダガーナイフを構えて一
直線にこちらに向かってくる。
肩に被弾し肩甲骨が吹き飛んでも。足に着弾し爆発しバランスを崩しても。
脅威の再生力で体組織が復元されてゆく。怒りが、彼女の能力を飛躍的に向上させていた。

「死を恐れない、黄泉の番人か。でもさ、黄泉の番人だって死ぬ事もある」
「ふざけんな!あたしは、絶対に死なないんだよ!!」
「あたしの知り合いの科学者が言ってたんだよね。世の中、絶対なんて言葉は存在しないって。あんた、死ん
だことないのに何で絶対死なないとか言えるの?」
「黙れ!あたしは…生と死の狭間に立つ支配者なんだ!!!!」

紗季がそう叫んだのと。
左胸の部分が破裂し血が吹き出たのは、ほぼ同時だった。

「は…?なに、これ…」

戸惑う紗季。
今のは、明らかに「赤の粛清」が空間を爆発させたものではない。
証拠に、内部からの爆発。思わず、噴火口のような傷口に手を当てる。

「どした?早く修復しなよ。でないと…ばーん」

手でピストルの形をつくり、おどけて撃つ素振りを見せる粛清人。
その結果は。紗季の体の、連続起爆。次から次へと破裂し噴き出す血、理由がわからない。その困惑が傷の修
復を遅らせてゆく。

「お前なんだよこれっ!くそ!ちくしょう、やめろ!やめろって言ってんだろ!!」
「あんたさっきさ。自分の体を修復した時に、取り込んじゃったんだよね。私の血を。それも、大量に」

紗季の体に取り込まれた血は、その爆発性を失うことなく体の隅々にまで行き渡っていた。
そして、一斉起爆。紗季は踊っているかのように体を痙攣させながら、ひたすら自らの体内を爆発させ続ける。

「さあここからが不死者の真骨頂だよ」
「あ…ああ…」

自らの体の変化にすっかり怯えきった少女の前に、いつの間にか赤い死神が立っていた。
その表情は、目の前の魂を手中に入れた、悦びの表情。
粛清人の手が、ゆっくりと紗季の頭に添えられる。

「あんた、全身が塵になった状態から復活を遂げたことある?ちょっとやってみよっか。若いんだし、何事も
チャレンジチャレンジ」
「や、やめて…死にたくな」

生まれて初めて。
首筋に死神の鎌を当てられた状態の中。
紗季は死にたくないと願った。生に固執した。
だがその願いも空しく、添えられた手が急激に熱を帯び始める。

一際大きな、爆発。
それを引金に、紗季の全身が爆発してゆく。
彼女の再生速度よりもはるかに速く、内からの外からの爆発が肉を筋を骨を破壊してゆく。ついに全身が崩れ
落ちただの肉の塊になった後も、容赦なく襲い掛かる爆発。

憂佳はその処刑の場面を、青ざめた顔をして見ていた。
一足先に爆発の餌食となった彩花を治療していた彼女。膝枕に横たわる彩花の焼け爛れた皮膚は、9割がた回
復はしていた。けれど、自ら爆心となった影響で体組織の一部が吹き飛び、それによって失われた血液は決し
て少ない量ではない。

紗季が無残にも殺されてゆく場面を目の当たりにし、急激に心が冷えてゆく。
それは自らの癒しの手をもってしても戻らない彩花の温かみと呼応しているかのようだった。
失う。失ってしまう。何もかも失ってしまう。
大切にしていた「友」でさえ、救うことができない。
あの日誓ったはずの約束が、嘘になってしまう。

― あたしが。あたしが桃香ちゃんの代わりになるから。だから、泣かないで ―

”研修中”に帰らぬ存在となってしまった彩花の旧友。
奇しくも彼女の右手を自らの体に移植することになった憂佳。それは旧友の最期の願い。
それ以来。自らの本来の能力を封印し、あくまでもサポート能力者として振舞った。

彩花ちゃん。私を暗闇から救ってくれた、大切な人。
彼女に笑顔を向けられた時から、私の絶望の人生に光が当てられた。
どうしてそう思うのか。わからない。感覚的なもの、自分に注がれる暖かな眼差し。
それだけで、十分だった。

しかしそれも全て、終わる。

「うわあああああああっ!!!!!!!」

憂佳が、普段のか細い声からは想像もつかないほどの大きな声を上げる。
怒り、嘆き、悲しみ、絶望、ありとあらゆる負の感情によって編上げられた絶叫は、やがて左手に宿る光とな
って実体化した。

バチュン!

小さな、ごく小さな音がした。

「やればできるじゃん」

「赤の粛清」の左の肩を掠めたそれは、結界を突き抜け空の向こうへと消えていった。
焦げた肉の匂いを撒き散らしながら、肩についた傷跡からぶくぶくと血が溢れ始めている。粛清人の肩を切っ
たそれは、高出力のレーザー光線。

「でも、遅すぎたね。自らを偽ってた、罰だよ」

光線を放った憂佳は、まっすぐの方向を見据えながら。
胸を、貫かれていた。「赤の粛清」の起爆速度のほうがわずかに速かったのだ。

口から小さな赤い花を咲かせ、後ろに倒れる憂佳。
確かに。私は自分を偽っていた。殺傷力のあるレーザー光線を使わず、味方の姿を隠す光学迷彩を能力の主体
としていた。それはどうして。

彩花の親友。
そう自ら呼べるような存在になりたかったのかもしれない。
死んだ旧友がそうであったように、自分もまた、彩花の能力をサポートしたかった。争いを避け、平和を望む
憂佳には、その願望はしっくりと体に馴染むような気がしていた。

だけど、そうはならなかった。
死んだはずの彩花の親友の姿が、いつまでも脳裏に焼きついて消えなかった。死者となり二度と手の届かない
人間になんて、勝てるわけが無い。希望。嫉妬。献身。殺意。嫌悪。全ての感情が矛盾となって憂佳の心を引
き裂いてゆく。
苦しい。ただ苦しいだけだった。そのことにすら蓋をし続けていた。


これは報いだ。「できる」ことを「やらなかった」、そのことに対する。

粛清人の起こした爆発は、憂佳の心臓を綺麗にくり抜いていた。
瓦礫に倒れた憂佳の視界に、薄闇に包まれ始めた空が見えた。終わる、世界が終わる。私の世界が、終わる。そして。

憂佳が最期に思ったのは。
ようやく、楽になれる。そのことだけだった。




投稿日:2014/02/05(水) 20:31:50.32 0
























最終更新:2014年02月11日 22:32