■ バスタブチワワ -工藤遥- ■
「うおー!風呂っ!風呂~!」
吠えながら工藤遥が靴を脱ぐ。
「うひゃーふろー!ふろー!」
まーちゃんが真似して靴を飛ばす。
「二人ともっ!靴ちゃんとして!」
石田が怒る。だがまったく効果なしだ。
「ちょ、まーちゃんはまだ服脱ぐなよっ!先にハルだろっ!」
「まーも入る!まーも!」
「いーやーだーねっ!ハルが『一人で』先に入りますー!」
「えー!」
「えーじゃないわっ!はいはい出てってー!」
喫茶リゾナント。そのすぐ近くのアパートメント。
「ちょおっ!何日もれいなの部屋貸すの嫌ぁっちゃけん!」
あの数日間、れいなの機嫌が悪かった原因だ。
工藤と佐藤、それと石田に寝室を取られ、れいながソファーに寝かされていた。
……まあ、詳しい説明もいらないだろう。
つまるところ、はるまーだーは、れいなの部屋から追い出され、
新垣が急遽、この部屋を借り、工藤はスッポンポン、というわけである。
「ふんふんふ~ん♪
おっと、お湯ためないとなっ!」
服を脱ぐ前にためた方が良かったのでは?とはどうやら考えてはいないようだ。
給湯レバー全開!バスタブにじゃばじゃばとお湯を注ぎこみながら、
早速シャンプーに取り掛かる。
「うひゃー!きもちぃー!」
頭を洗いながら声を出すのは銭湯のおっさんだけではなかった。
わしゃわしゃと豪快に髪の毛を洗う。
「やっぱ髪の毛邪魔かなー?みじかくすっかなー?」
そして、豪快にジャワーで洗い流した。
「!?」
声が、出ない。
先ほどまでの豪快な『少年』が一気に、怯えた『少女』へと変わる。
「んふふっ久しぶりの自由、すっごく楽しんでるみたいね!」
ごく小さな声だ。
だが、その女性の声は、とてもさわやかで弾んでいた。
艶やかな長い黒髪をそのままに、ほほは紅色に上気している。
満面の笑み。
Tシャツの裾を腰上で縛り、へそが露わになっている。
シックスパック。
ホットパンツに包んだ臀部にシャボンが付く事もいとわず、しゃがんだ姿勢で工藤ににじり寄る。
工藤は、知っている。目の前の『恐怖』を、知っている。
――セルシウスには、『二人の不死身』と『二人の無敵』がいる。
その『不死身』の一人は岡井千聖、そして、もう一人――
いや、そうではない。
そんな事を知らずともわかる。
わかってしまった。
『この女は、ヤバイ』
そう、組織の誇る特殊攻撃部隊、セルシウスのリーダーが今、目の前にいた。
「かっ……」
何か叫びたい。
でも、怖くて、声が、出ない。
「どぉ?リゾナントの人たちは。良くしてくれてる?」
「ぁ…ぃ…」
かすれるような小さな声、かろうじてこくこくとうなずく。
「よかった。さって、本題ね。工藤遥ちゃん、あなたは晴れて自由の身です。」
「…?」
「組織の記録としては、あなたは放棄で確定、あなたは、もう研修生じゃないの。千聖も、納得してくれてるわ。」
「!!!」
「あなたはきっと知らなかったと思うけど、このリゾナントの人たちはみんないい人よ。
これからも、きっと、あなたに良くしてくれるわ。ただ……」
すっと、矢島舞美の指が伸びる。
「喫茶リゾナントの、いえ【共鳴者(リゾネイター;resonator)】は、我々にとっての敵対集団でもある。」
そう言って、工藤の濡れた髪を指で優しく左右になでつける。
「今後、あなたは組織の敵よ、工藤遥ちゃん。」
今度は両手を伸ばし、脇の下に手を入れ、
そのまま、高々と持ち上げる。
この狭い空間で不自然に体をかがめた体勢から、
何の勢いもつけずに、だ。
恐ろしいほどの筋力、バランス、身体能力。
工藤は抵抗できない。
両手両足が、キュッと縮みあがる。
全身を固くし、されるがまま。
動けない。
「んふっ!かわいい…」
怯えた子犬のように震える工藤の全身を、
嬉々として目で嬲りながら、お湯の溜まったバスタブへ。
静かに、ちゃぽんと降ろす。
「はい。肩までこごんで……」
シャワーを止めてシャワーフックへ、
蛇口の給湯レバーを締める。
それから、暖かいバスタブの中で、ぷるぷると震え続ける工藤の頭を、首筋を、背中を、やさしくなでる。
静寂。
ただ、水滴が湯面を打つ音だけが、永遠に続く。
水滴。
静寂。
水滴。
そして、静寂。
ふと、おもむろに、矢島がたずねる。
「ねぇ?『共鳴』って、どんな感じ?」
わからない。
工藤は何も答えられなかった。
実際そうだ。
4人の中で明確に共鳴を自覚出来てるのは石田亜佑美だけ。
工藤達は無意識に『発信』してしまったにすぎない、少なくとも、今は、まだ。
「そう」
さわやかな笑顔。
ただ、『さわやかなだけ』の、笑顔。
「じゃあね、工藤遥ちゃん。」
現れた時と同じように、唐突に、矢島は、静かに消失した。
湯面が、揺れている。
工藤は、ただ、震え続けていた。
投稿日:2013/12/27(金) 20:46:29.25 0
最終更新:2013年12月29日 02:49