『リゾナンター爻(シャオ)』 38話




ダークネスの外部施設に、「天使の檻」と呼ばれる場所がある。
飾り気のない、白く四角い建造物。だが、その内部はいくつもの厳重なセキュリティ、ミサイル砲を打ち込
んだとしてもビクともしないような隔離壁。
その最深部に、「天使」は隔離されていた。

「檻」の、はるか上空。
人の目では決して確認することのできない物体が、浮遊している。

「ここが機体をあちらさんに感知されない限界ってやつっすかねー」

ステルスバリアが張り巡らされた、飛空船のデッキスペース。
肉感的な、目鼻立ちのはっきりとした女性が下を覗き込み、言う。

「うん。ここから『転送』で直接人員を檻の敷地内に移動させるみたいだよ」

答えるのは、小柄な女性。

「こっからだと距離にして数キロメートルはありますよね」
「だねえ。でも作戦指令書にはそう書いてるから何とかなるんじゃない?」
「そんなもんすかね」
「大丈夫大丈夫」

言いながら、小さな女性がにかっと笑う。
げっ歯類のような大きな前歯が、唇から顔を覗かせた。


「それにしても、変な形っすね。この飛行機」
「何でも、コストダウンやら何やらで、元々の大きさの半分くらいに無理やり改造したらしいよ」
「マジっすか? それでも機能とか半端なくない? この何だっけ、エリ、エリなんとか号」
「『エリックフクサキ号』ね。元は違う名前だったみたいだけど」

そんな中、デッキの扉が開かれる。
現れたのは、水色のドレスを着た、童顔の女。

「のっち、ここにいたんだ。それにきっかも」
「真野ちゃん」
「もう、『サトリ』って呼んでって言ってるのに! それより、本部長がみんなを集めて作戦の最終確認す
るって」
「おっ、あいあいさー」
「本部長、ねえ。対能力者部隊『エッグ』の結成以来かね、会うのは」

実際、彼女たちが本部長と呼ばれる人間と相対したことは数える程度しかない。
それはここにはいない「スマイレージ」のメンバーもまた然り。何せ、外部から彼女たちが警察組織に持ち
込まれると同時にプロジェクトリーダーとして就任。経歴は一切謎の人物、だが手腕だけは確かと専らの評
判だった。

船内に戻り作戦会議室と呼ばれる一室に入る三人。
そこに座したる、錚々たるメンバーたち。「エッグ」の精鋭と呼ばれる能力者揃いだ。

「あれ、のっち、あの子たちって」
「『セルシウス』に『スコアズビー』。改めて見ると、さすがにね」


会議室の後方、まるでこの場にいる「エッグ」たちを値踏みするかのように、五人組と七人組の集団が立っ
ていた。
彼女たちの存在は「エッグ」筆頭を務める能登有沙やミス破天荒としてその奇行ぶりが知られる吉川友、新
宿のシンデレラこと真野恵里菜が知らないはずもなく。
ついこの前まで、彼女たちは敵対関係にあったと言っても過言ではなかった。

ダークネス自慢の秘蔵っ子ったちとして。
いや、それ以前に「エッグ」のプロトタイプ的存在として。
この二つのグループの名前は彼女たちの頭に刻み込まれていた。
まだ未熟なはずのリゾナンターたちに倒されたダークネスの尖兵が今目の前にいるグループと同一であるこ
とを知ったのは、しばらくしてからのことではあるが。

一方、テーブルの端のほうで行儀よく座っている五人の少女たち。
赤と黒のツートンカラーで統一された衣装。緊張しているのか、幾分幼さを残した顔が強張っている。
見たこともない顔ぶれに、思わず。

「…誰?あの子たち」
「さあ。あの人がどっかからスカウトしてきた子たちでしょ」

友の問いに、恵里菜が面白くなさそうに席の最奥を指す。

「おうお前ら、久しぶりやな」

そんな二人に、指した人物から声がかかる。
特徴的な、少し掠れた声。
金髪と色つきのサングラス、そしてやや扱けた頬。白のタキシードという格好も相まってまるでどこかのホ
ストクラブの経営者にしか見えない。秘書のような出で立ちの二人の女性を従え、悠然と椅子に背をもたせ
掛けたこの男は。


警視庁対能力者新規特殊部隊「エッグ」本部長。
それがこの男。つんくを自称する男の、本来の肩書きであった。

「御無沙汰してます。悪趣味なファッションセンスはお変わりないようで」

席に座った恵里菜がそんな皮肉を込めるのも、致し方ない。
対能力者部隊立ち上げとともに、能力者の卵のスカウト活動と称してあちらこちらをふらふらと。怪しげな
「商品」を売り歩き、どこの馬の骨とも知れない連中に肩入れしている。エッグによる彼の評判は一言で言
えば、最悪だった。

しかしながら。彼が部署のトップとして上層部から重用されていることは明らかだった。
だから、ここにいる。

「さて。全員揃ったことやし、作戦の最終確認…言うても何も難しいことはあらへん。『転送』で天使の檻
の敷地に突っ込む。ただそれだけの楽な仕事や」

最終確認、と言うにはあまりに大雑把な説明。
本人の胡散臭さも相まって、場は何とも言えない空気に包まれる。

銀翼の天使こと安倍なつみ。
双璧を成していた「黒翼の悪魔」の不在によって、判明している限りではダークネスの最大戦力と目されて
いる能力者。
それをこちらの手駒にするという大胆な目的の割に、実に単純。単純すぎる。
当然のことながら、不満の声が上がる。


「潜入後のことはさておき。まずこのような高度から地上に『転送』すること自体、本当に可能かどうか」

普段はあまり口を開くことのない、クールな表情の女性。
暗殺者然としたいでたちの北原沙弥香が疑問を呈すのも当然の話。ダークネスが所有し運用する「ゲート」
でもない限り、物体の長距離転送は不可能と言ってもいい。

「そう言えば、つんくさんがこの前やった『お遊び』ではリゾナンカーなる乗り物を使用して母艦から遠距
離の移動を可能にしたんですよね。今回も、それを使うつもりですか?」
「リゾナンカーなら、前使うた時に壊れてもうたわ」
「じゃあ、どうやって」

つんくの曖昧な回答に苛立つ恵里菜。
それに構わず、部屋の外に向かって呼びかけた。

「金子、入っておいで」

ドアが開かれ、一人の幸の薄そうな少女が姿を現す。
彼女の名は金子りえ。「転送」の能力を保有する能力者だった。

「ちょ、マジっすか! りっちゃんの能力じゃうちら空中に放り出されてペッチャンコっすよ?いくらきっ
かがワガママボディだからって、無理無理!!」

大げさな身振り手振りでそんなことを言う友。
彼女はりえのことを知っていた。その知識からすれば、とても長距離転送を実現させるような能力は有して
いない。

「それができるんやなぁ。この薬さえあればな」

そんなことを言いつつ、つんくが胸ポケットから小さな白い錠剤を取り出す。
一見ラムネ粒に酷似した、何の変哲も無い薬にしか見えないが。


「安心してください。この錠剤の効果は本人への投与も含めて実証済みです」
「最新の実験では、ドラム缶100個を10キロメートル先の場所に転送することに成功してますからね」

つんくの脇を固める二人の女性の、もっともらしい説明。
だが、その説明を聞いて最も安心しているのは、能力者であるりえ自身だった。

これが成功すれば私は…

りえは、エッグの中でも研修中を理由に前線に立たせてもらえない存在だった。
転送能力には、特筆すべき精度も威力もない。同期の仲間たちが適材適所の場所へ旅立つのとは裏腹に、り
えだけがいつ終わるとも知れない訓練をやらされていた。

そんな彼女にも、一筋の光が射す。
それがこの、安倍なつみの解放作戦だった。
幸運なことに、作戦に必要不可欠な「転送」の役目を任された。つんくの投与した薬剤による能力の飛躍的
向上のおかげではあるが、ともかく。

「天使の檻」の何重にも施されたセキュリティ網をすり抜けて能力者たちを転送することができれば、必然
的にりえの評価は上がる。つまり、かつて彼女を追い抜いていった人間を見返すことが出来る。
彼女が緊張し、気合が入るのも当然のことだった。

「じゃあ、早速『転送』はじめるで。みんな、準備は出来てるか…せや、いくら金子の転送能力が優れてる
言うても、ばらけた状態やとしんどいからな。隣にある小部屋に移動頼むわ」

その場に居た全員に場所の移動を促しつつ。
つんくもまた、小部屋に移動すべく席を立つ。
するとやはり不安が先立ったのか、りえがつんくに駆け寄った。


「あの、つんくさん」
「何や。何も心配することあらへん。早よ、この薬飲みや」

りえの手のひらに、そっと錠剤を置くつんく。
りえはその丸く小さな薬をしばし見つめ、それから意を決して口にした。

「ちなみにこの薬、いつもより少し強力なもんにしてるから。揺り戻しはきっついで?」
「は、はい!大丈夫です!!」

背を向け、後ろ手に手を振るつんくを見ながら。
りえは、自分がつんくのことをひどく誤解していたことを恥じた。

能力者の卵の、見境ないスカウト。
そして、怪しい商品の売り込み。
金に執着心の強い、強欲で心無い人物だとばかり思っていたが。

つんくさん、見ててください。私、やります!!

薬が徐々に自らの肉体に浸透してゆく感覚。
りえはただひたすら、能力を発動させる瞬間を待っていた。


………

「全員、小部屋の入室、完了しました」
「おう、石井に前田、ご苦労やったな。お前らも部屋に入り」
「はい。失礼します」

恭しくつんくに一礼し、部屋の中に入ってゆく二人の秘書。
つんくは、先ほどまで自分達のいた会議室のほうへと視線を向ける。
そこでは、りえがつんくのゴーサインを待っているはずだ。

頼んだで、金子。

「天使の檻」からの距離に加え、上空数千メートルという高度。
これら全てを飛び越え、『転送』を成功させるにはりえの能力が必要不可欠だった。そして、りえに与えた
薬は彼女自身との相性が抜群によかった。あの錠剤によって能力を最大限に使役できるようになった彼女な
らば、必ずや成功させてくれるだろう。

最新の実験では、ドラム缶100個を10キロメートル先の場所に転送することに成功してます。か。
秘書の石井が言った言葉をつんくは思い返す。嘘も方便とは、このことだと。
実験如きで、「彼女」を消耗させてはいけない。実際はドラム缶は実験場の敷地から少し離れた場所に転が
っていた。薬の効能がわかれば、それでよかったのだ。なぜなら本番では、普段与えている薬の数千倍の効
果が出るものを服用してもらうのだから。

あの薬のおかげで、生涯最高のパフォーマンスを見せてくれるやろ。
文字通り。命が、燃え尽きるまでな。


艦内放送に直結したピンマイクに向け、つんくは言う。

「今から全員部屋に入る。したら、『転送』の開始や。頼むで」

つんくの前で開かれた扉。
彼が部屋の中に入ると、ゆっくりと扉が閉められた。
ぱたん、と音を立て、沈黙する部屋の扉。

数秒後。どこからともなく。
人の声とは思えないような、阿鼻叫喚が聞こえてくる。
喉を極限まで絞り上げ、それでも飽き足らず喉に向け爪を立て、掻き毟り、抉る。
そんな行為の果てに生み出されたような、絶叫だった。
めらめらと激しく燃え盛る炎のように響き渡ったそれは、やがてすぐに小さくなり消えてゆく。
そして。何の音も聞こえなくなった。





投稿日:2015/02/20(金) 01:44:55.81 0

























最終更新:2015年02月20日 09:55