『リゾナンター爻(シャオ)』 34話




里保と香音を引き連れ、歩く女。
元いた宇宙ワールドのエリアの端まで来ると、そこから先は「関係者立入禁止」の看板と鉄板
によるバリケードで封鎖されていた。そう言えばリヒトラウムの新しいアトラクションを擁するテ
リトリーが開発中であることを、ニュースか何かで聞いたのを二人は思い出す。

鉄の板に設けられた、扉が一つ。
そこにもご丁寧に「関係者以外立入禁止」とある。しかし女は。
自らのポケットをごそごそと探り、取り出した鍵で扉を開けてしまう。

「え」
「一応、関係者だから」

それだけ言うと、再び背を向けて歩き出す。
変な人。二人の率直な感想だ。
能力者のはずなのに、それらしき気配はまったく感じられない。ということはダークネスの手の
者か。いや、それとも違う。この感覚、どこかで感じたような。里保は思い返してみたが、うまく
それを記憶から掘り出すことができないでいた。

鉄骨が組まれただけの建物群を抜け、広い敷地に出る。
女は気だるそうに左右を振り返りつつ、ここなら誰にも邪魔されないか、と呟いた。

「あなた、何者なんですか」

里保が、何度目かの同じ質問をする。
女がゆっくりと、振り返った。


「このリヒトラウムの管理人、なのかな。ただ、この敷地に悪意を持って侵入してくるような
連中に対しての、だけど」
「悪意?そんなのあるわけない!だってうちら、ただ遊びに来ただけなのに…」

そこで香音は気づく。
いたではないか。里保がいつの間にかぶっ倒していた、いかにもな少女が。

「もしかして…」
「そう。あんたが倒したあの子を含めた数人が、悪意を持ってこの『夢の国』に入ってきた。
目的は、多分、あんたたち」

さして興味もなさそうな顔で、二人を指差す女。
話を総合すると、「外敵」がやって来たから出動した、ということは。間違いなく自分達はそ
の外敵ではないのだから、何の問題もないということになる。が。

「じゃあ何で、あたしたちをこんな場所へ?」
「…退屈しのぎ」

空気が、明らかに変わる。
やる気のある顔には見えないが、やる気のようだ。

「はぁ!?うちらが何であんたの退屈しのぎに付き合わなきゃなんないの!」
「そこのぽっちゃり、あんたのことは別に呼んでない」
「ぽ、ぽ、ぽっちゃり!!」

至極当たり前の疑問をぶつけただけなのに。
返って来た返答はあまりにも理不尽で、かつ日頃から気にしている事をぐさりと突き刺した。


「私はそこの子と一対一でやりたいから。さっさと帰って」
「そんなことできないし!てかぽっちゃりじゃなくてちょっとふくよかなだけだし!!」
「そうだよ、香音ちゃんはちょっと人より体が大きいだけだから」
「里保ちゃん…」

ここにも身も蓋もないことを言うやつがいたか。
しかも無自覚ときたもんだから、手の付けようがない。

「それにさ。今頃、さっきのゆるふわっぽい子の仲間たちがあんたたちの仲間に対して同じよ
うなこと、してるはずだし。助けに行ったほうがいいと思うけど」
「なっ…!!」
「香音ちゃん、うちからもお願い」

半身になり、構えを取りながら里保。
瞬間、背筋が寒くなる。こんな彼女を見たのはいつぶりだろうか。

「大丈夫。後から駆けつけるから」
「…わかった」

ここは里保の反対を押し切って二人で戦う、そんな選択肢もあったかもしれない。
しかし、香音は敢えて選ばなかった。女の言うように、他の仲間のことも心配だし。それに。
里保の言葉を、里保自身を信じているからこそ。

踵を返し、振り返ることなく駆け出す香音。
そのまま壁を透過したのだろう、足音はまったく聞こえなくなった。


「…あんた、リゾナンターでしょ」

二人きりになってすぐに。
女は表情を変えず、里保の所属を言い当てる。

「どうしてそれを」
「会ったことがあるからね、『高橋愛』に」

編上靴を鳴らし、里保との間合いを詰める。
ダークネスの差し向ける、人工能力者に良く似た感じ。それでも、やはり決定的な何かが違う。

「遠くにいたのを見ただけだったけど。一人だけ、オーラが違った。至高の、光使い」

そうだ。
里保はようやく思い出す。
これは。この感じは。ゼロから作られた、無機質なもの。

「あんたは。高橋愛の後継者でしょ?」

自らを、デュマの小説の登場人物に準えた、三人組。
そして元ダークネスの構成員が立ち上げた、能力者集団。彼女たちに共通する事項。
かつてダークネスに身を置いていた新垣里沙は言った。ダークネスが生み出した人工能力者を
「造る」技術、それが提供され大量生産という形で応用している組織があるということを。

「その肩書きに相応しいかどうか。力、見せてよ」

凄まじい風が、地面から吹き上げているような感覚。
ただそれは錯覚に過ぎない。あくまで相手がこちらに発する、威圧の具現化。


もうすでに、戦いは始まっている。
ファーストコンタクトで里保が感じた、達人クラスの相手という評価は間違っていなかった。そ
れどころか。かつて里保たちを圧倒的実力差で苦しめた「赤の粛清」の域に達している可能性す
らある。

「うちがどれだけ強くなったか。悪いけど、いいチャンスだと思ってるから」

香音を行かせたのは。
もちろん他のメンバーたちが心配なこともある。
けれど、自分自身の今の力。成長。もう敵ではなくなってしまった舞美や茉麻相手では出すこと
ができない、全力。
それをこの手で、確かめたかった。

女の右手から、白い何かが生み出されてゆく。
相手は、塩を操る能力者。倒れている刺客・里奈に向けて使った様子から、そう予測立てていた。
問題は、それがどう人体に影響を及ぼすか。

「はあっ!!!!」

愛刀「驟雨環奔」を地面に突き立てる。
舗装されていない、むき出しの砂利が敷き詰められた地面が砕け、礫となって女に襲い掛かる。
その瞬間。女の体の周囲に、白い輪のようなものが現れる。輪に軌跡を阻まれた石礫は、輪と
同じように白くなり、ぽろぽろと崩れ落ちていった。

やっぱり。
里保は確信する。
女の、塩を析出させる能力は危険だ。あの塩に触れたら最後、塩と化して崩壊してしまう。幸
い、人体に対してはある程度タイムラグがあるようだ。証拠に、里奈の塩にされた足は里保の
水流によって事なきを得ている。


「…塩に触れたら、危険。そう思った?」

女の問いに、里保は答えない。
答える必要も無い。気を抜いたが最後、あの塩の餌食になってしまう。

体勢を低くし、抜刀の構えを取る。
向かい合っているだけで、空気が焼け付く日差しのように肌を刺す。
強い。改めてそう感じる。だから。

一発で決める。そのつもりで女に向かって駆け出した。
刀を抜き、同時に携帯していたペットボトルを相手に向かって投げつける。
だが目的は相手にぶつけることではない。口の開いたペットボトルは回転しながら、水を撒き散
らす。それら全てが、里保の武器となる。

走りつつ、撒かれた水でもう一本の刀を象る。
二刀流。加えて中に舞う水の粒を珠に変え、集中砲火を浴びせる。持ちうる限りの、全力だ。

「勝たせて、貰う!!」

俊敏な動きで女の懐に入り、水の刀を逆手に持ち替え下から上へと薙ぐ。
塩の輪を崩し、返す刀で相手を斬る。
瞬時に出来上がった里保のイメージ、だがそれは予想もつかない出来事によって崩される。

破裂。
そう。先ほどまで自分の物だと思っていた水の刀が、まるで支配を拒むかのように。
形を崩し、砕け散った。
それだけではない。前方に展開していた水球、その全てが同じように破裂し消えていく。


「どうして!!」
「あんたの水は、あたしの塩が混ざることで、『あんたのもの』じゃなくなる」

アトラクションの行列の中で里保の水の刀を難なく霧散させたのも、そのせいか。
水が使えない。ならば、相手の意のままにならない「水」を使うしかない。
覚悟を決め、刀を振り上げようとしたその時だ。

「30から、300。あっという間だから。『それ』は、やめときなよ」
「何を」
「自分の血で刀を作ろうとしてたでしょ。やめたほうがいい」

切っ先を掌に這わせ、血の刀を作ろうとしているのを見抜かれた。
それだけではない。30から300とは何を意味しているのか。
考えあぐねていると、自らの足の感触が変わっていくことに里保は気づいた。

地面を覆いつくす、塩。
いつの間にか、湧き出るように。まずい。
目に付いた街灯に飛び移り、事なきを得る里保だが。

「塩の致死量って、30グラムから300グラムなんだって。傷なんてつけたら、すぐ死んじゃう。
特に、こんな嵐の中じゃ」

最初は、そよ風程度だった。
雪のように積もった塩が、ぱらぱらと舞うくらいの。
けれどもそよ風は円を描き、円を重ねるうちに勢いを増してゆく。舞い上げられる白い結晶。
ついには、街灯のガラスフードの上に乗っていた里保がバランスを崩し地上に降りざるを得ない
ほどの大嵐と化していた。

まるで、塩の吹雪。吹き荒れる風にすべてのものが白に染められる。
外灯の柱に白い結晶が吹きつけ、朽木が倒れるかのようにゆっくりと崩れ落ちた。
この空間は非常に危険だ。


「くそっ!!」
「どうする? あたしを止めないと、塩の嵐に塗れてそのまま固まるけど」

女の言うとおりだった。自らの身を守る水がない現状では、瞬く間に吹き付ける塩に絡め取られ
てしまう。水は。里保は周囲を見渡す。作りかけのアトラクションの他には…いや。里保は、見
つけた。お誂え向きのものを。

なるべく自分の体に塩がこびり付かないよう、転がりながらそこに移動する。
そして立ち上がり刀を一閃。
赤色の鉄の箱は見事に斜めから真っ二つになり、中のものをばらばらと撒き散らす。
ミネラルウォーターの、ペットボトル。

「なるほどね」

自販機を目ざとく見つけた里保。
里保が自らの武器とも言うべき水を探し当てたにも関わらず、女が動じることはない。
それは、いくら水があっても無駄なのを知っているから。

それでも里保は、水の入ったペットボトルを次々に斜斬りにしてゆく。
そして撒き散らされた水は、里保の体に張り付くようにして纏われた。水の鎧。同じ水使いとし
て一戦を交えた矢島舞美の得意とする戦法。

「行くぞ!!」

渾身の力で、大きく刀を振るう。
太刀筋を避けるかのように、塩の嵐が薄くなった道。
それを、一直線に駆け抜けた。


鎧がもつ時間は、おそらく僅か。
その僅かな時間で、一気に畳み掛ける。
女の眼前に迫った里保が、上段からの切り下ろし。これは女に読まれ、バックステップでかわさ
れる。だがそこからの素早い切り返し、斜め上への切り上げ、燕返し。女の着ていたカーキ色の
ツナギが切り裂かれ、下に着ている黒のTシャツが顔をのぞかせた。

「さすがに甘く見過ぎたか」
「まだまだっ!!!」

さらなる攻勢を掛けようとする里保だが。
タイムリミット。水の鎧は塩分をたっぷりと含み、花が枯れるかのように形を崩し消える。
だが。躊躇している時間はない。

再び刀を上段に構える里保、それは敵の目を引くフェイント。
振りかぶる態勢を取りつつの、まさかの投擲。女は身を低く屈めて避けざるを得ない。

そこを一気に攻める。
れいなに仕込まれた格闘術の真価が発揮される時だった。
屈んだ体を刈り取るように中段の蹴り。すかさず、女が頭部を右手でガードする。
しかも、ただの防御ではない。里保の足を絡め取り、地面に引き倒す投げ技のコンボ。

この人、格闘術も!?

地面に打ち付けられる前に、空いたほうの足で相手の胸板を思い切り蹴りつける。
手を放した隙に距離を取り、再び相手に突っ込んだ。
腹部への右ストレート、半身になってからのひじ打ち。全てが女に当たる前に捌かれてしまう。


「そろそろ、塩になるよ?」
「…そう。そろそろ」

里保が無我夢中に繰り出したように見えた拳。
明後日に放たれたようなその攻撃は。
攻撃するためのものではなかった。空を掴んだかのように見えたその手には。
握られていた。投げつけたはずの、「驟雨環奔」。

「本命は、それか!!」

はじめて女が、大きく叫んだ。
投擲したかに見えて、ブーメランの要領で描いた弧の軌跡。
持ち主の手に還った刀が、女の体を一閃した。

「さすが、高橋愛の後継者。と言いたいところだけど」
「?」
「それじゃあ、切れないでしょ」

女に言われて、ぎょっとする。
刀には。びっしりと塩がこびりついていた。


咄嗟に距離を大きく取り、地面に刀身を叩きつける。
塩が剥がれ銀色の刃が姿を現した。損傷はないようだが。

「…退屈だ」

女が、塩の嵐を収める。
その表情には、不満がありありと映っている。

「お前の実力は、そんなものじゃないだろう。何を躊躇ってる?」
「な、何を…」

何を馬鹿なことを、と言いかけた里保だが。
彼女の記憶の海の奥底に、それは確かに沈んでいた。

自らを律することができずに能力を暴走させてしまった、幼き日。
そして水面に映る、深い赤の瞳。
水に揺蕩う、黒い髪。燃えるような、赤い毛先。
心の奥に封じ込めたそれは、ゆっくりと、浮かびつつあった。





投稿日:2015/02/12(木) 20:09:50.04 0

























最終更新:2015年02月18日 12:51