『リゾナンター爻(シャオ)』 25話




喫茶リゾナントからそう遠くない場所にあるマンション。
その一室に、光井愛佳が構えている事務所があった。彼女の生業は、所謂何でも屋。
迷い猫探しから、要人警護までをモットーに。今では海外進出をも視野に入れ、ニュージーランドと日本を
行ったり来たり。ちなみに事務所の代表は愛佳で社員も愛佳一人。人手不足はリゾナントの後輩たちに補
ってもらっている。今のところ、海外で得た英会話力を生かせるような仕事は、舞い込んで来てはいない。

愛佳の携帯電話が、鳴る。非通知。依頼者だろうか。
今日はいつになく忙しい。普段は一日一件くらいの依頼が、今日に限って10を超える本数。同業者に聞
いたところ、都内のその手の「能力者」たちが何らかの用事に掛かりっきりなのだと言う。どちらかと言え
ば暇を持て余している愛佳のような個人営業者には願ったりな状況ではあるが。

「お電話ありがとうございます。『痒い所に手が届く』でおなじみの、ミツイシークレットサービスです。何か
お困りですか?」

つい最近決めた宣伝文句を、淀みなく読み上げる愛佳。ついでに社名も横文字にしてみた。
何でも屋と言っても、サービス業。感じの良い第一印象が、いい仕事に繋がる。
不安や緊張で一杯の依頼者も、この一言で堅い表情を崩し…


「……」

無言。
まあ、ない話でもない。
愛佳に掛かってくる電話の20人に1人くらいはこの手の輩だ。彼らは、無言の後にいきなり本題を切り
出すことが多い。「本当に何でも請け負うのか」「少々後ろ暗い案件だが」。非合法活動に関しては有無
を言わさずノーを突きつける、故にお決まりの常套句が飛び出た時点で電話を切ることにしていた。が。

「予知能力を失って、それで何でも屋ねえ」

聞こえてくるのは、少女の声。
いや、声質は問題ではない。「予知能力」。愛佳が失って久しい能力だ。
業界広しと言えど、愛佳の「かつての素性」を知っている人間はそうはいない。

「…あんた、何もんや」
「これから、そっち遊びに行ってもいい?」
「あほか。お断り…」

愚にもつかない問いかけを鼻で嗤おうとした愛佳が、思わず携帯を強く握り締める。
目の前には、携帯電話を耳に当てたポニーテールの少女がいた。
ドアが開いた形跡はない。彼女は誇張でも何でもなく、突然現れたのだ。

「お前!いつの間に!!」
「あはは、遊びに来たよ」

まるで知り合いであるかのように、軽く手を上げて挨拶する少女。
垂れ気味の大きな目、にっと笑った口からは八重歯がこぼれ出る。無邪気な少女、のように見えるが。


どこからともなく、湧き上がる寒気。
愛佳の本能が、最大限の警鐘を鳴らしていた。
見た目はガキンチョみたいな格好をしてるが、こいつは危険や。
手が、自然に机の引き出しの裏へと伸びる。

「正義の味方を気取ってた、かつてのリゾナンターが拳銃だなんて反則じゃない?」
「なっ!!」
「別にあんたと争うつもりはないって。今日はただ、あんたに『会いに』来ただけなんだからさぁ」

少女が、一歩前へと踏み出す。
愛佳の拳銃は、まっすぐに少女の頭を狙っていた。

「これ以上近づいたらほんまに撃つで!!」

銃口を前にしても、少女は顔色一つ変えない。
一瞬にしてこの場所に現れた手口からして、相手は間違いなく能力者だろう。
つまりこの拳銃が愛佳の身を守る保障など、どこにもない。
ただ、相手を怯ませることはできるかもしれない。愛佳はこの場からどう逃げ失せようか、頭の中でシミ
ュレートする。
正面突破は難しい。ならば、背後の窓を突き破り…

「言っとくけど、逃げても無駄だから」
「ちっ…お見通しっちゅうわけか」

それなら、と愛佳は考える。
相手を撃つと見せかけて、背後の窓ガラスに銃弾を撃ち込むか。人間、不意の行動を見せられれば一瞬の
隙ができる。勢いのままに窓から身を投げれば、この場からは逃れられる。今の時間帯なら、人通りも多
いはず。その中で物騒なことをするほど、目の前の相手が馬鹿ではないと信じたいところだが。


「うちに何の用や。いくらうちがトリンドル玲奈に似てるからって、芸能事務所のスカウトならお断りやで」
「はぁ…能力を失ったあんたになんて、のん興味ねーから。それに、距離は『これくらいで十分』だし」
「何言うて…」

そこで愛佳と少女の目が合う。
全身の毛穴が、痙攣するかのような感覚。
この目は。目から放たれている異常な力は。

精神干渉。

「くっ!やめろや!!うちの中に、入ってくんな!!」
「無駄な抵抗すんなって。こっちはさっきクソガキに力使ったせいで、疲れてんだからさ」

少女の背後から、いくつもの透明な手が伸びてきて愛佳の心に触れようとしている。
その光景は、あくまでも愛佳のイメージによるもの。しかし少女の「能力」は確実に愛佳を侵食しつつあった。

「…なめんな…リゾナンターだったうちを舐めんなやぁ!!!!!」

精神干渉に抗う術は、たった一つしかない。それが、心の強さ。
相手の能力に飲み込まれまいと、必死に心の根に力を込める。能力者同士の場合、簡単には相手の精神に干渉
できないのはこのためだ。

かつて、己の心の弱さから自らの命を絶とうとした愛佳。
だが、稀有な出会いが彼女を変えた。能力がなくなったからと言って、あの日々に得た心の強さまでは失われ
ていなかった。
だから、愛佳は抵抗する。呑まれたら、終わりだ。


「…うぜえ。さっさとやられろよ、ばーか」
「ぐっ!!!!」

次の瞬間。
少女から愛佳へともの凄い勢いの風が吹き荒れる。
パーテーションが倒れ、ハンガーポールがなぎ倒される。
愛佳の背後の窓ガラスが破壊され、机の上の書類が派手に吹き飛ばされた。

「くそっ、これ全部レンタルやぞ!!」
「だからさぁ、うるせえよ」

言いながら、少女が愛佳のほうに自らの掌を向ける。
吹き付ける向かい風に、思わず目を細めたその時。

少女の姿は、跡形も無く消えていた。

「な…」

愛佳は思わず、部屋を見渡す。
パーテーションも、ポールハンガーも無事だ。
書類もきちんと、机に整理されている。

うちが見たんは、幻だったんか…?

彼女の推論、しかしそれは彼女自身に残る恐怖心が否定する。
確かに先ほどまであの恐ろしい存在は、この場所にいた。それだけは、間違いない。
あの少女は一体…


少女?
果たして、自分が見たのは本当に少女だったんだろうか。
突如浮かんできた設問に、頭が混乱する。
まるで頭の中が急に靄がかったような感覚、記憶が記憶として信じられない。

「くそが!あいつ、うちに何をした!!」

湧き上がる怒りで、思わず机を叩く。

「あ」


それは、愛佳にとって久しく忘れていた感覚だった。
意識が遠くなり、今の自分とは遠く離れた場所にもう一人の自分がいるような錯覚を覚える。
「眩い光」「幻想の世界」「九人の少女」「赤」「終わり」
情報は断片的に降り注ぎ、彼女の中で少しずつ形を成していった。

「!!」

そして完成されたビジョン。
先ほどの闖入者のことなど、すっかり頭から消えていた。
それよりも今は一刻も早く、このことをあの子に伝えなければならない。
愛佳は携帯を再び手に取り、震える手でボタンを押し始めた。





投稿日:2014/12/20(土) 01:46:31.55 0
























最終更新:2014年12月22日 22:48