『リゾナンターЯ(イア)』 69回目


業火。
肺腑まで焦がす炎熱地獄の中、新垣里沙と「鋼脚」は対峙していた。
周囲はすっかり赤い舌に嘗め尽くされ、ごうごうと音を立てて燃え盛っている。里沙にとっては最悪の状況であることは間違
いない。

「へえ。ちゃんと使えてるじゃん。『伝達遅延』。呼吸法と組み合わせれば、致死量の猛毒の煙の中でも数分間は生きてられ
る。師匠としても鼻が高いね」

炎の壁を見渡しながら、「鋼脚」。
その表情は少しも歪んでいない。先ほどまで炎の中で戦っていた里沙に比べ、今しがたこの場に到着したと思しき「鋼脚」。
何よりも。

「伝達遅延」は自らの精神に作用させることで、毒物等の身体に害を及ぼす物質の影響を遅延させることが出来る能力。
そして、呼吸法により極力毒気を吸い込まないことにより、その効果は飛躍的に高まる。

問題は、そのどちらも、目の前の金髪の女性が里沙より上回っているということ。

「不肖の弟子としてそこまで師匠に褒めてもらえて、光栄です」
「でもまあ。詰めが甘いわ、ガキさん。梨華ちゃん以外に幹部クラスの人間が島に上陸している可能性は考えなかったのかな」
「くっ…」

もちろん、想定していないわけではなかった。
けれど、リゾナンターの存在をダークネスはどこかで軽んじているのでは。という楽観的な見方がないわけでもなかった。
いつだって、連中は手のひらの上で自分たちを踊らせるような行動を取ってきたのだから。


里沙が、前に飛び出す。
時間延ばしの話術が通用するような相手でも、自らが許されるような存在でもないことはわかっている。絶望的な状態での、
ただの悪あがき。

鋼線が踊る。
幾何学模様のような複雑な軌跡を描いたワイヤーが、標的を捉えようと四方八方から襲い掛かった。ピアノ線ほどのしなやか
さはないが、一度絡め取られれば、骨ごと肉体を切断することも可能な強度。だがそれを「鋼脚」は。

一瞬のうちに、円を描くような蹴りで断ち切った。

空に舞う鋼線、その隙間を縫うように里沙が急襲する。
ワイヤーは囮。最初から肉弾戦での不意打ちを狙っていたのだ。

虚を突かれた「鋼脚」は無防備。
これなら怯ませた隙にこの場を離脱できるかもしれない、そんな甘い考えをかき消す像の消失。

「お前さ。今の状態でうちに勝てるとか本気で思ってる?」
「しまっ…!!」

いつの間にか背後に回られていたことに気づくも、時既に遅し。
延髄に強烈な手刀を叩き込まれ、視界が強く揺さぶられた。

「ったく。まだまだだよ、ガキさん。昔からずっと言ってんじゃん。『精神干渉』の使い手だからこそ、体術のほうも極めな
きゃなんないってな」

間違いなく殺られる。
倒れこんだままの姿勢で、「鋼脚」が首狩りの蹴りの構えをおぼろげに見ていた里沙。
次の瞬間、凄まじい風が吹いた。


「鋼脚」の蹴撃は、この一体をくるりと巻き込むように拡がる。
燃える草木も、頑丈な太い幹も、炎の壁すらも。一瞬にして断ち切ってしまった。
吹きぬけた風の跡は、黒く煤けた大地が残るのみ。

「え…?」
「弱ってる相手にとどめを刺すなんて趣味、持ってないんだよ」

面倒臭そうに、頭を掻く仕草を見せる「鋼脚」。
それだけ見れば、あの頃と何も変わらないように見える。けれど。

「正直。あんたがダークネスに弓を引いたとか。そんなことどうでもいいんだ。けどな。ケジメだけは…きっちり取る」

背筋に、極寒の凍気が吹き付けたような気がした。
泰然とした居姿の向こうに見える、鋼の意志。
それが、里沙を逆に奮い立たせる。

「私にだって!!やらなきゃいけないことがあるんです!!!!」

大きく、叫んだ。
あの人は、今でも組織に捉えられて地獄の苦しみを味わっているかもしれない。
今でも思い出す、太陽のような暖かな眼差し。そしてそれを歪めさせられた末の、真冬の月のような冷たい温度のない表情。
助けなきゃ。あたしが。手を、差し伸べなければ。

負けないように顕にした意志。
だが、それはいつの間にか側に近づいていた「鋼脚」の両手によって阻まれる。


「やらなきゃいけない。口では何とでも言える。意志なき力は、何の役にも立ちやしねえんだ」
「ああああっ!!!!」

里沙の両頬を挟んだ手のひら。
そこから、大きなエネルギーが流れ込む。体が、動かない。
一瞬にして相手の意識に入り込む、「鋼脚」の”本当の能力”。

里沙がダークネスに所属し、スパイとして喫茶リゾナントに潜入する以前から。
組織の先輩として、教育係として範を示してきた人物。
諜報部門の長として多くの人間を率いてきた後ろ姿に憧れたこともあった。
もしかしたら、里沙がリーダーとなって若きリゾナンターを引っ張っていた時。少なからず影響していた部分があったのかもしれない。
ただそれももう、今となっては遠い幻の出来事。

まるで石像のようにぴくりとも動かなくなった里沙を尻目に、「鋼脚」はすっかり視界の開けた先にあるくすんだ建物を眺める。
あの中で、今まさに起こっていることを彼女は、知っている。紺野が予め教えてくれたからだ。

「…さすがですね。でも。私だって」
「よしな。うちの『縛り』は今のガス欠のお前じゃ破れない。仲間が助けに来るまでそこで成り行きでも見守ってるんだな」

言いながら、横たわっていた「黒の粛清」の体を抱え上げる。
先程の鬼神のような戦闘力を誇示していた人物とは、とても思えない。


「目に映る人間全てを、意のままに操る。『傀儡師』」
「…懐かしい名前で呼ぶなよ、『監視者』」

ゆっくりと、「鋼脚」は灰燼に帰した野原を歩く。
その後ろ姿がだんだんと遠ざかってゆくのを目にしながらも、里沙は研究所にいるであろう後輩たちに思いを馳せていた。

さゆみん…あとは、お願い…

激闘による激しい消耗。
さらに、命の危険に晒されるような緊張からの解放により、里沙は意識を失ってしまった。
リゾナンターの命運を託した後輩の顔を、思い浮かべながら。





投稿日:2014/04/08(火) 19:45:48

























最終更新:2014年04月14日 10:17