『幻影(前)』



違和感。
一言で済ませると、たった三文字で終わる。
しかし、それだけでは終われない。何故なら今は、戦闘の最中なのだから。

「凄いですね。私のテリトリーに入って平気で居られる人、はじめて見ましたよ。さすがは『鞘師』の継承者、
といったところでしょうか」

目の前の、里保よりやや年下に見える少女が言う。
テリトリー、の発音がやけに流暢だ。

里保の肩が大きく上下する。息が、乱れる。
例の「違和感」は、彼女の精神のみならず肉体にまで影響を及ぼしていた。

「『鞘師』のもの、か。その言い回し、どういう意味かな」
「意味もなにも。私は貴方が『鞘師』である以上、倒さなくてはいけない。do you understand ?」

ドゥーユーアンダースタンドと来たか。
まるで英語の授業に出ているようだ、と思いつつ。
この状況を何とか打破しなければ。でなければ。
地に這い蹲る結末が待っている。

少女が懐から取り出すは、銀色のナイフ。
それが、まっすぐに里保に向かって飛ぶ。だが、里保は回避行動を見せない。
案の上、鋭い刃は里保の体を突きぬけ明後日の方向へと消えていった。

目に見えるものは。耳で聞こえるものは。そして肌で感じるものは。
信用するな。

それが少女と短い間交戦して学んだ、事実。
太腿を走る痛々しい赤い痕が、それを教えてくれた。


「警戒してますね、鞘師さん。私の異能を」
「恐ろしい能力だからね。人の感覚を悉く”狂わせる”」

少女が里保の前に現れてから程なく、相手が仕掛けてきた。問答無用というやつだ。
違和感は既に始まっていた。
少女が投げるナイフ。速さはさほどではなかった。なのに。

避けられなかった。
いや、正確に言えば何かの嫌な予感から刀を咄嗟に下段に構えていたが故に、ナイフが深々と刺さる事はなかっ
たものの。
それでも、予想できなかった軌跡が里保の肌を裂く。
だがそれすらも、立て続けに続く不可解のほんの端緒でしかなかった。

攻勢に出た里保の一太刀はあっさりと空を切る。
避けられたわけではない。少女は涼しい顔をしてその場に立っていた。
まるで、里保自身が「目測を見誤った」かのように。

それからは。
こちらの攻撃は当たらず、相手の攻撃は読めず。
ナイフが飛んできた方向とはまったく異なる方向からの鋭利な痛み。
念のためにと張って置いた水のバリアもまた、投擲の直撃を避けるための気休めの防護策にしかならない。その
ことが、里保の精神をすり減らしてゆく。

「…じゃあそろそろ、本番と行きましょうか」
「!?」

その瞬間、少女の姿が掻き消えた。
違う。いつの間にか懐に入られていた。
そこから繰り出される、拳、蹴り。


「…体術も得意なんだ」
「むしろこっちのほうが本領ですけど」

見えている動きとはまるで関係ない場所が軋み、打ちのめされる。
防戦一方。身を固めるしか術がなかった。
先ほどのナイフは間隔を空けて攻めていたから、何とか直撃を避けることができた。
しかし肉弾戦ではその隙さえ与えられない。

このままではいずれガードが打ち崩され、決定的な一撃を与えられてしまう。
その証拠に、これだけの乱打をしておきながら少女は汗一つ、かいていなかった。
フィニッシュブローを温存しているのは、火を見るより明らかだ。

目に見える軌跡が。空を切る音が。肌で感じる空気が。全てまやかしならば。
何を信じればいいというのだろう。
里保は相手のサンドバッグになりながら、それでも考える。
浮かんだのは、遥か遠くの故郷にいる祖父の顔だった。





投稿日:2014/11/13(木) 21:16:16.58 0


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最終更新:2014年11月14日 12:44