創氏改名の真実



<目次>

■はじめに

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前総理大臣である麻生太郎氏は
以前「創氏改名は朝鮮人が望んだものだった」と発言されたことがあります。
もちろん、韓国・左翼など反日勢力に非難されましたが、
真実は麻生氏の言う通りなのです。

■創氏改名のきっかけ

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日韓併合によって朝鮮人は念願の日本国民になることができましたが、1つ問題がありました。
それは「日本国民だ」と言っても名前を言えば一発で朝鮮人とバレてしまい、
支那人に馬鹿にされてしまうということです。
そこで朝鮮人は日本政府に自分たちが日本風の名前を名乗ることを認めるよう要求しました。
そして日本政府は1940年2月11日にこれを朝鮮・台湾で認めました。
これが「創氏改名」です。

■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い

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私たち日本人の名前は「氏」と「名」から成り立っていますが、
朝鮮人の名前は「族譜(一族の名前)」と「名」から成り立っています。
「族譜」というのは日本でいえば、「源氏」・「平氏」のようなもので、
例えば「源氏の足利尊氏」ならば、
「族譜」が「源」、「氏」が「足利」、「名」が「尊氏」になります。

■「創氏」について

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創氏改名の「創氏」とは、朝鮮人の名前に新たに「氏」を加えることです。
「創氏」であって「改氏」ではないのはこのためです。
ただ、この「氏」を日本風にするかどうかは任意で、届け出を出さなければなりませんでした。
例えば「李○○」という名前の人が届け出を出さなければ、この人の「氏」は「李」となります。
また朝鮮人の「族譜」は、彼らの伝統を尊重して戸籍に残しました。
ちなみに「創氏」は無料でした。

■「改名」について

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日本風の「名」に「改名」するかどうかも任意でした。
しかも、「創氏」と違って「改名」をするのは有料でした。

■創氏改名の届出についての告知ビラ


※クリックすると拡大されます
:|
強制制ではなく申請制だったことがわかります。ひらがなの横には読めるようにハングルでも書かれています。

期限は刻々に迫る 八月十日限り 今熟慮断行の時
認識を誤って悔いを子孫に残さぬよう

△好機を逸さぬよう!
△即刻届け出しましょう!

1. 創氏届け出は八月十日までです。その後創氏届けはできません。名の変更には期限がありません。
2. 八月十日までに氏の届けをなさぬ者は従来の戸主の姓がそのまま氏となる結果、戸主の姓が金なれば、金が氏となり、妻尹貞姫は戸主の氏に従い金貞姫となり、子婦の朴南祚は金南祚となり、紛雑するおそれがあります。
 この結果は内地式を設定しなかったことをかえって後悔することになるだろうと思われます。
3. 氏と姓とを混同する向きがあるようですが、氏は家の称号であり、姓は男系の血統を表するもので、両者の性質は全然異なっております。
4. 氏を設定すると従来の姓がなくなるという誤解があるようですが、氏設定後においても姓および本貫はそのまま戸籍に存置されますから心配ありません。
5. 門中または宗中は同一の氏を設定しなければならぬと考えられている人もありますが、大いなる誤解であります。氏は家の称号であるがゆえに、各家異なる氏を設定するのが当然であります。
6. 氏選定について熟慮中のようですが、考えすぎるとかえって迷うおそれがありますから、速やかに簡明なものに決定するのがもっとも理想的であります。
7. 期限も迫りました。不審の点は早く府面邑または法院へお問い合わせください。

大邱地方法院

府面邑--->市町村
http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10009074492.html

■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました

日韓併合当時、満州には150万の朝鮮人がいた。

彼らは絶えず漢人から圧迫され、摂取され、

農奴に近い生活を強いられていた。やがて朝鮮人狩りが起こる。


朝鮮人を最も嫌っていたのは張作霖で、

「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」

と息巻いていたほどである。


この朝鮮人迫害は漢人、韓人たちの満州資源争奪の争いを助長した。

このような歴史背景下で、朝鮮人たちの唯一の救いは、

当時世界五強のひとつであった大日本帝国の臣民となることだった。

唯一、中国に対抗できる切り札であったため、
朝鮮人たちはすすんで創氏改名を強く要求したのである。


日本こそが朝鮮人にとって合邦国家の民族の誇りであり、

中国人の跋扈に対抗できるただひとつの勢力だったのだ。


■「改名」は完全な申請制でした

「改名」については義務化されず、完全な申請制で、

申請手続きには手数料も取られている。
実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。

朝鮮総督府への申告というのは、つまり、

被治者が治者側と同階層になれるというものであり、

「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、

本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。

当時、半年の届け出期間中、

朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。

創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、

満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。

日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、

日鮮同祖論という親近感があり、

創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。

一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、

むしろ改名は「高嶺の花」であった。


■補足

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今まで書いてきたように、朝鮮人が日本風の名前にするかどうかは任意でした。
朝鮮人の軍人で最も出世した人に洪思翊陸軍中将 がいますが、
彼は日本風の名前に変えてはいません。
つまり、日本風の名前に変えなくても差別されることはなかったのです。

■参考文献

  • 『日本人として最低限知っておきたい近現代史の必須知識』渡部昇一・水野靖夫、PHP研究所


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最終更新:2013年12月14日 13:19
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