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NIEの正体


■NIEとは

http://ja.wikipedia.org/wiki/NIE

NIE(Newspaper in Education(教育に新聞を))とは、学校等で新聞を教材にして勉強する学習である。
アメリカで1930年代にニューヨークタイムズが新聞の教材としてのハイスクールでの利用を考え、始めたもので、NIEを教育上利用している国家は、現代では世界で52か国にのぼっている。
日本新聞教育文化財団が推進している。

■そもそもNIEは朝日新聞の陰謀である


高山正之 著 『情報鎖国・日本――新聞の犯罪』 202~206ページ 「あとがきにかえて」より  廣済堂

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 僕の個人的な体験を言う。
 社会部のデスクをやっていた当時、部長代理として新聞協会の会合に出てくれ、と言われた。行ってみると、これがNIE(ニューズペーパー イン エデュケーション)、要するに新聞を教材にというテーマの会合だった。
 各新聞が教材として学校教育の中に入ることで、生きた教材として子どもの教育に役立てばという、とても立派な趣旨の委員会だった。ただ、その時、僕は社会部のデスクとして、日々の各紙の紙面を見ていた。そしてなんとまあいい加減な記事が多いことか、という印象を持っていた。
 (中略)
 そのことがあったので、僕はその後のNIEの会合で、新聞記事を教育の場に持ち込むのは十年早いのではないか、といった反対意見を出した。
 会合はその後も続いたが、こちらはその後、戦争中のイランに転勤になり、何年かのちに日本に戻ってくると、NIEは僕の反対にもかかわらず、積極的に学校教育の場に持ち込まれているという。一体どんな使われ方をしているのか、大いに不安だった。
 そんな折、朝日新聞 紙面下の広告欄を見たら、「入試にも出る朝日新聞の天声人語」という惹句が目に入った。それで最近はつまらなくなった天声人語を読みだしたのだが、読んでみると、これがほとんど井戸端会議の延長のような話ばかりで占められている。
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朝日新聞1998年1月30日付
現代の教室の光景を先生たちが語っている(季刊「現代と教育」三十九号)。多かれ少なかれ、どこの学校でもあることだという▼小学一年生。先生が教材のプリントを配る。すると後ろの子が「私にくれないから、もうやらない」とパニックを起こして泣き出す。前から後ろへと順番に配っているのを見ているのに、自分の番まで待つことができないのだ▼小学二年生。朝会のとき、おしゃべりしている。別のクラスの先生が「ねえ君、ちゃんと先生の話聞こうね」と言った。その子は「うるせぇんだよ!」。先生はちょっとムッとして「君、なんていうの」とたずねた。悪態が返ってきた。「どうせ親にいいつけやがるんだろう」▼(中略)▼この座談会に出席した先生たちは、子供たちをまっすぐに受け止め、どうしたら自立の芽を育てられるか模索している。大変な役割である。▼(中略)▼栃木県で、中学生が先生を刺し、殺してしまった。特に問題があった子どもではないという。紹介したような子供らの心象風景と全く無縁ではあるまい。そんな気がする。」
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 人を殺したこと、それも授業を受けている女性教師を刺殺したことを、咎めもしない。一体このコラムは何が言いたいのか。一見、教師にも子どもにも受けのいいことを言って、教師や生徒の問題点や姿勢に言及することもしない。なんだ、これは受け狙いか? と首をひねるばかりである。
「コラムとは、読者が、一般の記事からはわからない別の情報を知るとか、それによって、新たな味方を得るなど、それなりの使命があるはずだ」と考えながら地下鉄に乗っていたら、扉に朝日新聞の広告ステッカーが貼られていた。
 「大学入試に朝日新聞/259大学364問題/他紙を圧倒、出題校数連続No.1」の文字が踊っていた。それで合点がいった。今や天声人語は朝日拡張の道具なのだ、と
 それでも「腐っても鯛」だ。香港、台湾、シンガポールなどに行くと、朝日新聞は日本を代表する新聞扱いで、いわばオピニオンペーパー扱いになっている。しかしその名に恥じないオピニオンはどこにも出てこない。だからといって、アート・バックウォルドのような、ゆとりのある上品なユーモアもない。ただあるのは、学校教育の場に受けそうな、そして、共産党、社民党の隠れ教員 で占められる教員たちに受けそうな意見ばかりだった。
 たとえば黒人のアメリカのヒーロー・OJシンプソンが別れた妻とその愛人を殺害したという裁判で、OJが無罪になった日、天声人語は「これでいいのだろう」と書いていた。
 DNA鑑定をはじめ、すべての証拠は、OJが犯人だと指していた。ただ、人種問題というアメリカの抱える業が、こうした明白で単純な事件にすらまともな結論を出せずにいる。あるいはしっかりした判断力もない陪審員が、こうした結論を招いているということも見逃せない事実である。
 こんな陪審員のお陰で日本企業が法外な懲罰的賠償をつきつけられ、またそういう陪審員を恐れて高額な和解金を払うケースが続いている。そういう根の深い問題がありながら、「これでいい」はなかろう。それが日本を代表する新聞のコラムになっているところに、今の日本の苦悩がある。 


高山氏のように、まともな人間が天声人語を読んだならば「なんだこれは?」という疑問が湧くはずである。
それだけ、朝日新聞の内容が薄っぺらいということがわかる。
特に、最後の「これでいいだろう」


■問題点


新聞社は私企業であり、結局のところは、近年の新聞の売り上げの落ち込みのテコ入れ策でしかない。

また、そういった新聞の売り込みそのものを教育の現場に持ち込む事に対する批判(新聞社による公教育の「私物化」)。

新聞界において、昔から延々と発生し続ける記事の捏造や冤罪報道といった報道被害の情報は伏せられてしまい、意味がない。


既存の権力構造である新聞社が協力するため、そこから抜け出した考えをもち、偏向報道を見抜く事は困難である。


新聞紙面の文章の言い回しは、一般社会ではありえないか、あるいは非常に抽象的かつ曖昧な表現が多い。

 そのうえ最近の新聞は、固有名詞を除けば、文字の表記を常用漢字に限定したり、必要以上に開いた表記(話す→はなす)を採用しており、文章の読解力向上に特に効果があるとは言い難い。

教師が意識して、特定の新聞のみ教材として用意するなど、恣意的、かつ、イデオロギー的な教育が行われる。

そもそも、日本の新聞は諸外国のそれと比較して、出版部数や価格の割に、内容が非常に薄い(欧米の日刊紙の半分程度しかない)。

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最終更新:2012年01月24日 19:45