「総意」という表現は、あたかも国民が実在し意思をもっているかのような印象を我々に与えてきた。 そういえば、重大な政治問題の解決に迫られたとき、ある政治家(政党)は、“主権者である国民が○○を望んでいる”といい、別の政治家(政党)は、“主権者である国民が○○を許すはずはない”という。 国民が一体として存在して、何かを望んだり望まなかったりしているかのようだ。 ところが、主権者の一人であるはずの我々は、政治家たちとは全く別の◇◇という選択肢を希望していることが多い。 そのとき、我々は、“国民であるようで国民ではなく、主権者であるといわれながら主権者ではない”と、もどかしく感じるだろう。 |
実は、国民なるものは、実在しないのだ。 実在するのは、個々人だけである(人民が実在する、などと信じているのは、ナイーヴなルソー主義者だけだ)。 我々が薄々感じてきたもどかしさの原因はここにある。 実在しないものを実在するかのように、意思できないものが意思できているかのようにいうトリックに、もどかしさの原因があるのだ(⇒[4])。 |
《私たちが、投票し、政治的な選択を時に為すことは、「国民主権」ではなく、民主制というべきだ》、 |
《我々は民主制の中で統治されているからこそ、間歇的に投票するのだ》、 |
《投票していることについて、わざわざ実体のない「国民主権」などと大迎なことをいわないほうがいい》 |
我々にとって、最も馴染み深い主権といえば、国際社会における国家の対外的独立性だろう。 独立性が国の空間に表されたとき、領土・領海といわれ、この空間が他国によって侵害されたとき、《主権の侵害だ》といわれる。 これを「国家のもつ主権」と呼んで、「国家における主権」とは区別すると分かりやすいだろう。 |
次に、国家法人説にたったとき、国家という法人のもつ権利が“主権だ”といわれることもある。 ただし、厳密にいえば、この権利は、主権と称すべきではなく、「国家の統治権」と呼ぶほうが適切である。 |
「国民主権」にいう主権は、上のいずれでもない。 それは、国家(法人と捉えるかどうかに関わりなく)が有する何らかの権限を指すのではなく、国家における統治のあり方を最終的に決定する法力(権限)を指すのである。 |
まず、中世ヨーロッパにおいて sovereign とは、重層的統治の中で、「優越的な支配権」または「第一の高位を有する者の地位」を表した。 この用法は、いまでもイギリスに残っている。 「議会主権」という言い方がそれである。 そればかりでなく、国家法人説において、国家の統治機関の中で最高意思の決定機関をもって「主権者」というときも、同様の用法である。 例えば、“選挙人団である国民が主権者だ”という日常的にお馴染みの用法がそれである(この用法は、我々の「国民主権」の捉え方を混乱させる元凶だ、と私は考えている)。 |
その後、国王が、一方で、国内の封建諸侯のもつ支配権を統合し、他方で、法王からの独立を勝ち取るなかで絶対国家を成立させると、sovereign とは、国王の至上権・絶対権を表す言葉となった。 その用法を初めて示したのが、J. ボダンの『国家論』6編(1576年)である。 ボダンは「国外のあらゆるものは王を拘束しえず、・・・・・・国内のすべての権力は王からの派生物にすぎない」と説き、対外的な独立性、対内的最高性のみならず、それらの始源的性格にも言及した(「始源的」とは、伝来的ではない、それ自らが因子となっていることをいう)。 これが君主の主権は法の外に出る絶対権だとする理論である。 |
この君主主権を市民革命が打倒した。 その際、君主という一自然人の有する命令権としての主権に対抗するために、“市民の総体が主権者だ”という、新しい主権概念を君主勢力に叩きつけた。 この主張は、これまでの君主という一人格の意思を、国民という一人格の意思にすげ替える単純なアナロジー(※注釈:analogy 類推(作用))だった。 それでも、君主主権のもとで他律的に生活することに倦んだ当時の人々にはその新理論は新鮮で、大きなインパクトをもった。 そして、旧体制勢力を打倒した。 ここにおいて主権は、国家の対外的独立性・対内的最高性を表すものから、国家における統治権力が国民の意思に発するという概念へと変容した。 これが「国民『主権』」といわれる際の用法となる。 |
急進的な思想家・政治家たちは、“社会契約締結の状態を、いつでも回復できる状態に置いておくこと”を望んだ。 彼らは、国家統治のあり方が代表者によって決定されたり、それが相当期間維持されたりすることを忌避した。 そのために、彼らは、身分制議会、自由委任・純粋代表制(間接民主制)、制限選挙制等に反対した。 そのための理論上の武器が「人民主権論」だった。 それは、“社会契約締結に参加した「市民=シトワイアン(正確には「公民」)」が共通目的へと結集したとき「人民=プープル」として一体的意思主体となる”という理論である。 “実在する人民が自ら政治参加し、自らが決定者となる、これを統治の原則とするときが「人民主権」だ”というわけだ(人民 peuple は、貴族に対する一般庶民または恵まれない人々という語感をもっている)。 |
これに対して、穏健派の思想家・政治家たちは、社会契約締結前の状態と、憲法制定後の状態とを異質にすることを望んだ。 彼らは、社会契約の理論が革命の理論と容易に結びつくことを知っていた。 そのために彼らが用意したのは、“全員が同意したかも知れない社会契約と、憲法協約とは別物だ”という理論だった。 憲法協約段階では、その制定のために特別に選出された代表からなる「憲法制定会議」の審議・決定に委ねてよく、制定後の国制の運営も純粋代表の手に委ねてよい、というわけだ。 さらに、「国民主権」原理を革命の理論から引き離すために、国民なる概念が実体化されないよう意識された。 そこで、先の「人民=プープル」とは区別して「国民=ナシオン」という言葉が用いられた。 「国民主権」の論者は、この原理と、普通選挙制、代表制、議会の構成(一院制か二院制か)等を直接関連づけなかった。 |
ある論者は、“制憲権とは実体的にも手続的にも法的制約に服さず、至上最高のものであり、いつでも発動して実定憲法をいかようにも変えることができる”と主張した。 これは、先にふれたように、社会契約の締結状態を恒常的に残しておきたい、という急進派の理論だった。 |
穏健派はこの見解に反対だった。 実定法を超越すると同時に、憲法をいつでも改変できるものとする実定憲法破壊的な法的性質を制憲権に与えることは、革命の火種を常に抱えるがごとき危険な理論だった。 そこで、穏健派は、こう主張した。 “制憲権は、いったん発動されて実定憲法を制定した後は、実定憲法を支える正当性の契機となる” “改正権は「憲法によって作り出された権限」であって、「憲法を創り出す権力」とは異なる” 実際、フランス1791年憲法は、制憲権を実定憲法の正当性原理として凍結させたばかりでなく、改正権から峻別し、さらには、改正権の発動についても厳格な手続を踏むこと、および、改正内容にも限界のあることを明示したのだった。 |
① | 今日の多くの憲法学者は、国家法人説に批判的なはずである。 というのも、国家法人説は、“国民でもなく、君主でもなく、国家自体が主権を有する団体だ”といいながら、当時忍び寄ってきた国民主権論を否定するイデオロギーだったからだ(⇒[4]をみよ)。 それは、国家主権の万能性を説いてきた。 万能の国家の中で国民が有するといわれる「主権」は、厳密にいえば、統治権の一部ではないか? |
② | 選挙人団の範囲と資格は、公職選挙法という法律によって定められる。 法律によって決定された人的範囲・資格をもって、“憲法上の主権者だ”ということは、法律から憲法(国制)を理解するという本末転倒の論理ではないか? |
③ | “主権者は選挙人団だ”と考えるとすれば、国民のなかに主権者と主権者ならざる者とが存在することになるが、それでよいか? |
④ | 日本国憲法41条が「国会は、国権の最高機関」としている文理と抵触しないか? |
ある立場は、“制憲権とは法外的な政治的決断・意思の発動であって、規範とは無関係だ”という前提に出ながらも、その理論の危険性を看て取って、“日本国憲法の場合、主権者である国民が憲法典をつくりあげるさい、「よき社会」の形成発展のために自然権保障型を中心部分とする立憲主義的憲法典を選択したのだ”という。 国家の自己拘束ならぬ、「国民の自己拘束説」である。 この説に対しては、制憲権の理論は近代立憲主義思想(社会契約論=規範の理論)とともに誕生したという歴史的な展開を軽視しているのではないか、との疑問が生じてくる。 さらにまた、日本国憲法制定にあたって、主権者が自己拘束したことが論証されているわけでもない。 日本国憲法の諸規定から後知恵によって“主権者が自己拘束した証左だ”といっているようにも見える。 制憲権論争は、主権者意思の発動前に、その権力を拘束する法力が内臓されているかどうかを問うはずのものである。 自己拘束説の不十分さは火を見るより明らかだ。 |
自己拘束説と対照的なのが、“制憲権は根本規範による授権によって根拠づけられた法的な力だ”とする見解である。 これを「権限説」と称することにしよう。 なぜ、「権限」かといえば、“始源的な規範である根本規範によって授権され枠づけられた法力だ”とみられているからだ。 もっとも、根本規範が「根本」である理由はどこにあるのか、何をもって根本規範とするのか、日本国憲法における根本規範は何であるのか、権限説には謎が多すぎる。 |
根本規範説に近い立場が、“制憲権は、個人の尊厳または人格不可侵の原則によって規範的拘束を受けている”とする見解である。 この説が「個人の尊厳」「人格不可侵」というとき、どうも、人間のあるべき本性(nature)が念頭に置かれているようだ。 日本版自然法・自然権論だろう、と私はこの説を診断している。 この説は、自然権思想を受容している論者以外には説得力をもつことはないだろう。 |
(※注釈: <1>) |
ある学説は、実定憲法から制憲権の法的性質に接近して、こういった。 “制憲権は、本質的には権力(意思力)であり、超実定的な性質をもつが、実定憲法制定と同時に実定憲法の中に凍結され、正当性の契機となったのだ” これを「正当性契機説」と呼ぶことにしよう。 この説は、 | |
① | 制憲権が革命の理論であること、 | |
② | 国民主権がイデオロギーに過ぎないこと、 | |
を知っている。 実体として存在しない「国民」が主権者であるはずはなく、統治する者は常に少数で、統治されるのが「国民である我々だ」とこの説は見抜いている。 この論者の目は覚めている。曇りがない。 ところが、覚めた立場は、冷めた目で批判されるのが常である。 批判者は、“市民が血を流して勝ち取った国民主権という概念が空虚だとか、イデオロギーに過ぎないだとか、あろうはずがない”と、正当性契機説の空虚さを突くのである。 | ||
(※注釈: <2>) |
国民主権を無内容としないためには、そしてまた、日本国憲法の解釈と直接の関連性なし、などとクールに割り切らないためには、どうすべきか? 正当性の契機にとどめることなく、権力的契機をも制憲権にもたせて、“その権力(※注釈:憲法制定権力)は、実定憲法制定について、一定のヴェクトルを示している”と語ることだ。 ある論者は、そう解するにあたって、 | |
① | 権力的契機を示す場合の制憲権の主体が選挙人団、 | |
② | 正当性の契機を示す場合の制憲権の主体は全国民だ、 | |
と、その担い手に変化をもたせる。 これは、一見巧みな解釈技法にみえる見解ではあるが、国家創設後に国法上に登場する概念である選挙人団を唐突に登場させるところで、破綻してしまっている。 | ||
(※注釈: <3>) |
別の論者は、主体云々よりも、制憲権が実定憲法(日本国憲法)の構成原理を指し示している点に留意している。 この論者は、 | |
(ア) | 民意をできる限り反映する「民主的」統治メカニズムを備えること、すなわち、選挙人となりうる人的範囲が最大であること、 | |
(イ) | 選挙人の意思が反映されるよう統治制度が整備されること、 | |
(ウ) | 選挙人の意思が自由に反映されるために、統治者批判が自由であること、 | |
といった要素を挙げている。 ところが、上の(ア)~(イ)は、「国民主権」によって必然的に要請されるものではない。 先の[27]でふれたように、これらは、《統治される国民が統治者に対して有効なコントロールを及ぼすための要素》である。 “統治のあり方を最終的に決定する力を国民が持っている”という命題と、“日本国憲法には、国民が統治者を定期的に交替させる装置が組み込まれている”という命題とは、必然的関連性はないと私は考えている。 実定憲法に用意されている民主的なチャネルは、社会契約でもなければ、その擬似物でもない。 | ||
(※注釈: <4>) |
先の[38]でふれたように、社会契約の思想を実定憲法制定後も生かし続けたい、と考える人々もいるだろう。 それに賛同する論者が直接民主制原則に立つ国民主権を唱えるのであれば、その論旨は一貫したものとなる。 「自同性」を満たす統治構造でなければならない、というわけだ。 ところが、実定憲法制定後も、“制憲権は権力的契機を持ち続けている”といいながら、民選議会、参政権、公的言論の自由等の保障で妥協する論者も多い。 民選議会、普通平等選挙制(選挙人資格の拡大)等の要素を満たす統治構造は「半代表制」と呼ばれることがある。 半代表制については、[64]において代表制を論ずる際にふれるが、大いに曖昧な概念にとどまっている。 |
阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 | 第七章 国民主権と憲法制定権力 |
LEC・芦部信喜・佐藤幸治・阪本昌成・中川八洋の「国民主権論」比較 | 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 |
関連用語集 | 【用語集】主権論・国民主権等 |
「法の支配」と国民主権 | 「法の支配(rule of law)」とは何か |