第5章 違憲審査制

阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法   第5章 違憲審査制    本文 p.20以下

<目次>

■1.違憲審査制のなかの司法審査制


[14] (1) 法令解釈権の統制


ある法解釈が正当かどうか、その解釈に従った法令制定・解釈・適用が正当化どうかは、第三の機関の判定に服すよう、憲法によって求められることがある。
これが違憲審査機関であり、その制度が「違憲審査制」である。

民主主義の非万能性が気づかれた第二次大戦後の国家において、違憲審査制は、人民の意思であれ、その意思を代表するといわれる議会の意思であれ、多数者意思や国家機関意思を「法」のもとに置くための必須の装置と考えられて、導入された。

[14続き] (2) 正しき解釈の判定者


違憲審査制のうち、我々が最も馴染んでいるのが、司法審査制である。
通常の裁判所が、具体的な法的紛争の解決にあたって、問題の国家行為が合憲か違憲かを、法の解釈として呈示する制度である([154]をみよ)。

もっとも、裁判所が、政治部門の決定、なかでも、議会の制定した法律の憲法適合性を判定できるとする思想は、モンテスキュー(1689~1755年)を始めとする初期立憲主義者以来、一貫して無縁のものだった。
19世紀の法治主義における裁判所の役割は、行政機関が法律適合性原則(*注1)を遵守しているかどうかを審判することにあった。
しかも、その審判権は、通常の裁判所ではなく、行政裁判所の管轄に属するものとされることもあった。
この「法治行政」の思想が普及した大陸法国家において、“司法とは民事および刑事の裁判をいう”といわれてきたのは、そのためである(⇒[150a])。

司法審査が憲法上の制度として誕生するには、幾つかの条件が満たされなければならなかった。

(*注1)行政の法律適合性原則について
この原則は、法治国原理の考え方を、行政機関に対して重ねて求めるもので、
①国民の権利義務に関する法規範(法規)の定立は議会のみが為し得、
②行政機関は法律の留保のもとで始めて行為でき、
③行政機関の制定する法形式は法律の効力を破ることはない、
ということをいう。

[14続き2] (3) 司法の特質


第一は、 政治部門と呼ばれる議会や執政府から独立した地位を保障された国家機関が存在することである。
それが「統治/司法(裁判)」という区別のもとで成立した裁判機関である。
裁判機関の独立保障は、権力分立論に先立って確立されていった。
第二は、 裁判機関が正しき法とは何たるかの解釈機関となることである。
そのためには、これまで裁判所権限だとされていた統治権限の発動(例えば、今日いう許認可権限の裁量的行使)機関から、手続的にも実体的にも正しき法規範によって統制される機関になることが必要だった。
これを支えたのが「執政/司法(裁判)」という区別である。
その展開に力を貸したのが権力分立論だった(権力分立については、後の [52] でふれる)。
第三は、 法の支配という思想の浸透である。
《すべての国家活動は正しき法のもとに置かれるべし》という法の支配の考えは、古くギリシャの時代から説かれ続けてきた。
が、「法/立法」の違いをはっきりと説いたのが近代啓蒙思想だった(法の支配については、後の [31] でふれる)。
法の支配という思想は、人為法が高次の法に服することを説いた。
高次の法が何であるか、コンセンサスはなくとも、少なくとも、国家の法体系のなかに、階梯的構造があることについては多くの賛同を得たのである。


■2.違憲審査制の展開


[15] (1) 司法審査制の成立


司法審査制を最初に確立したのは、アメリカである。
アメリカ合衆国憲法には、司法審査権についての明文規定がなく、Marbury v. Madison (1803年)での連邦最高裁判例によって肯定されて以来、今日に至っている。

有名なマーベリィ判決において、当時のマーシャル長官は、次のようなロジックを使うことによって、巧みに裁判所の司法審査権を説いた。
司法権は、合衆国憲法3条に示されているように、「この憲法・・・・・・の下で生ずる・・・・・・すべての事件に及ぶ」。
栽培所の任務は、司法権の及ぶ事件に法を適用し解決するにあたって、法を解釈することにある。
解釈にあたって二つの法が矛盾するときには、裁判官は優位にある邦を適用しなければならない。
合衆国憲法6条は、法律は憲法に従って制定されなければならないと定める。これは、「上位の法は下位の法を破る」との原則の表明であり、上位法たる憲法典は、これに抵触する法律を破る。
従って、通常の法律が憲法典と矛盾する場合、裁判所は、前者を無視し後者を適用しなければならない。6条にいう公務員の憲法尊重義務も、裁判官に対し、このように求めている。

以上のように、マーシャル長官は、法の解釈権者としての裁判所が、法解釈の一環として司法審査権を行使できることを説いたのである。

司法審査制は、通常の法的紛争の解決に付随して、裁判所が問題の国家行為の合憲性を審査する制度である。
そのために、「付随審査制」とも呼ばれることがある。
司法審査制のもとで裁判所は、「法/統治」の区別を意識するよう求められる。
司法審査は、適法・違法という法解釈の枠内で為されなければならず、政治的・政策的にみて当不当の評価に踏み込んではならない(この点については、すぐ後にふれる。また「司法審査権の限界」についてふれる [158] [159] もみよ)。

[16] (2) 大陸における展開


大陸における違憲審査制は、通常の裁判所の法解釈の枠内にあるものと、枠外にあるものとの区別(「法/政治」の区別)のもとに設計されている。
例えば、ドイツの違憲審査制は、おおよそ次のように制度化されている。
個別的事件の解決を任務とする通常の裁判所は、憲法および法律に拘束される法の解釈者として、適用すべき根拠法条に憲法上の疑義があると考えるときには、その手続を中止して憲法裁判所の判断を求めなければならない。
換言すれば、根拠法条が有効であるときに限って、その裁判所は法解釈権を行使できるのである。
これは「具体的規範統制」と呼ばれる。
この制度は、通常の裁判所が解釈の名の下で立法権を侵害することのないよう、立法を防衛する意味をもっている。
ドイツの違憲審査制の際立った特徴は、連邦憲法裁判所を設置して、その判断に議会を含めたすべての国家機関を拘束する力を持たせる点にある(但し、厳密にいうと、連邦憲法裁判所の権限は、違憲審査権だけではないが)。
憲法裁判所は、一定の提訴権者の請求を受けて、あらゆる種類の法規範について、個別的事件を離れて(このことを「抽象的に」という)、合憲性を判定する。
これを「抽象的規範統制」という。
抽象的規範統制の制度は、国家行為の法適合性・合憲性判断が法解釈の枠を超えた、政治的決定であることを率直に認めたうえで、そのための特別の裁判所としての憲法裁判所を政治的統合過程に組み込むのである。

上のドイツとはまた違って、フランスでは、第五共和国憲法のもとで実現された「憲法院型」による違憲審査制がとられる(憲法評議会とも訳出されることがある)。
憲法院は、司法府に対する国民の不信感が強い同国において、従来の議会優位思想を拒否して、議会と執政府との権力均衡化を図るための政治機関として設置された。


■3.統制機関の統制


[17] (1) 違憲審査機関の統制


違憲審査制を実現して、内閣や議会に鈴をつけたからといって問題が解決したわけではない。
“鈴をつけた者に如何に鈴をつけるか”という争点が残るのだ。
つまり、違憲審査機関が暴走し、牽強付会なロジックによって実体的な価値を創造するとき、どう対処すればいいか、という論点である。
これは、違憲審査機関が民主過程から隔絶されていればいるほど問われる論点である。
例えば、裁判所が、憲法の条文に手がかりのなさそうな領域について、“○○の自由(例:中絶の自由)は憲法の幸福追求権によって保障されており、これを制限する国家行為は違憲である”と新しく判断したとしよう。
「○○の自由」が憲法上保障されるべきか、という大上段の議論は、まず、現行の堕胎法制はどのように改正されるべきか、という立法政策上の検討として民主的に解決されるべき事項かも知れない。
“この争点は、まずは法令が改正されるべきかどうか、選挙民とその代表機関である議会によって検討されるべきだ”という主張は説得的だろう。
こうした手順を踏まないで、政治過程の外にある裁判所が憲法解釈として「○○の自由」を捻り出したという事実は、外国で実際に起こり論争の的となってきた。

裁判所のこうした「解釈」は、ときに「政策形成 policy making」と呼ばれる(もっとも、「政策形成」というタームは、実に散漫に用いられており、要注意語である。私は、これを《解釈にあたって引証されるべき要素から離れ過ぎて“国制の基本方針”を創出することだ》と限定的に理解することにしている)。

違憲審査機関の憲法「解釈」が、たとえ上のようであっても、憲法自らがその機関の解釈を法的に最終のものとしている以上、それを正当な憲法解釈と受け止めざるを得ない。
その後の対処は、民主過程に委ねられる。
すなわち、憲法改正または新たな憲法制定によって対処されることが、民主国家の基本である。

[17続き] (2) 違憲審査制の限界


成文の憲法とその解釈 - なかでも裁判所の有権解釈 - が国制の行き先を舵取りしていくことは民主主義国においては正常ではない。
国家のかたちは、議会の制定する無数の法令によって詳しく描き出されることもあれば、民主過程によって適宜修正されていくこともある。

ということは、ドイツの憲法学の奇才、C. シュミット(1888~1985年)が指摘したように、《国制は、法治国的な構成部分と、政治的な(または民主的な)構成部分とから成る》とみることが適切だろう。
この二つの構成部分のうち、いずれを重視するかは、解釈者の姿勢によりけりで、例えば、シュミットは“法治国的な構成部分は政治的構成部分に単に付け加わったものに過ぎない”と強調した。
これに対して、私のような古典的リベラリストは、政治の動向とともに変転せざるを得ない国制を法規範によって捉えきることの困難さを重々承知しながらも、それでも、法治国的構成部分を最大限重要視すべきだとみるだろう。
それでも、国制の実体は法治国部分に収まりきりことはなく、後の第10章でふれる「憲法(国制)の変遷」をもたらすのである。
この部分こそ統治の領域である。
法治国部分に収まりきらない憲法問題を裁判所の憲法解釈によって解決すべきだ、という考え方は安易である。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


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最終更新:2013年03月22日 01:24