日本ファシズム論1

昭和維新 1930年代初め頃から軍部革新派の青年将校や、超国家主義者が用いたスローガン。
財閥・議会政治などを倒して、天皇と国民が「君民一体」となった国家へ改造することを内容とした。
明治維新にならって昭和維新と自称したが、ニ・ニ六事件で皇道派が力を失い、軍上層部・政府が挙国一致の国家総動員を推し進めるようになると、このスローガンは使われなくなった。
錦旗革命 1930年代の右翼運動のスローガンであるが、具体的には1931年10月、荒木貞夫を担いで国家改造を企図した未発のクーデター計画を指す。
十月事件ともいう。
橋本欣五郎、長勇など陸軍将校を中心とし、民間からは大川周明らが参加した。
軍首脳部の躊躇と分裂のために未発に終わったにせよ、これによって若槻内閣は退陣を余儀なくされた。
この事件を契機として軍は政治的発言を強め、その後のクーデターを容易にする前例を作った。
なおこの事件は軍内部に「統制派」と「皇道派」とを分化させるなど、軍閥暗闘史の上からも注目される事件であった。
上からの革命 一般に革命は下部の民衆の側から起こされるものであるが、まれに支配階級の側から起こされる場合がある。
つまり支配階級は革命的情勢を予知して、自己防衛のため先手を取ろうとするのである。
もちろんそれが単なる部分的改革に過ぎないことはいうまでもない。
クーデター
coup d'Etat
一般に武力による奇襲攻撃によって政権を奪取することを言う。
通常の政権交代方式と違って非合法であることに特徴がある。
また革命は支配階級に対する大衆の蜂起とそれに続く既存の体制の転覆であるが、クーデターは支配階級内部の権力争奪である点で革命とも違っている。
歴史上有名なのは1799年のブリュメール十八日のナポレオンのクーデターである。
なお日本の二・二六事件はクーデターの失敗した例である。
国民革命
(広辞苑より)
①1925~28年、国民革命軍の北伐による中華民国国民政府の中国統一運動。大革命ともいう。
②1923年ミュンヘンに運動を発し、33年独裁権力を握るに至ったナチ党が、その過程で掲げたスローガン。

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最終更新:2011年11月01日 00:47