経済政策part5

各国の国民負担率の増減グラフの横欄に書きましたが、「福祉の充実」を主張する者は、具体的に国民負担率が何%台の社会を目標としているのか、を明示しなければ不誠実・不見識であり、政治家あるいは識者として不適当といえます。
同様にして、ハイエクや小泉政権を「市場原理主義」として批判する者も、「では自分たちは国民負担率が何%台の社会を目標としているのか」をきちんと明示できなければ不誠実・不見識で、的外れの批判をしていると言わざるを得ません。

このように、自分が国民負担率が何%台の社会を目標としているのか、を確り検討することは、自分の政治的スタンスを確り検討することにつながります。
そして、そのようによく検討してみると、今までハイエクを「市場原理主義」として何となく批判してきた人が、
実はリベラル左派の目指す「大きな政府(=やや高負担・高福祉の社会…具体的には国民負担率40~50%台の社会)」ではなくて
「中規模の政府(=中負担・中福祉の社会…具体的には国民負担率20%台の社会)」が良いと考える保守主義のスタンスであって、ケインズよりもむしろハイエクのスタンス(小さな政府)により近いことが分かる場合
などがおこるはずです。

私自身の見解としては、国民負担率が30%台後半から40%台に接近している現在の日本は、かなり問題のある状況だと見ています。
自分の収入のうち、私たちは既に35%以上を政府に吸い上げられており、今後さらにその割合が上昇していく(=私たちの可処分所得の割合がさらに減殺される)可能性が濃厚なのです。

自分の収入の一定の割合が、自分の知らない誰かのために使われるとしても、
私としては、それはあくまでチャリティ(慈善)、すなわち私たち国民自身の意志による自発的な資金拠出であるべきであり、
政府によって、私たちの収入の今以上の割合が強制的に徴収されて、誰かの為に勝手に使用されてしまう、という状況は余り望ましいとは思いません。

そういう状況下では、
(1) 強制的に徴収される側には、 正当な理由なく収入が奪われているという不満が残る一方で、
(2) 政府から給付を受ける側には、 本来の対価がないにも関わらず便益を受け続けることからくるモラル・ハザードの発生と、
今後も継続して便益を受け続けようとするところからくる不当な既得権益の発生(受益者の圧力団体化)が容易に想定されます。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年09月09日 01:04