もしも我々が現に行われている思想間の大闘争において成功しようとするならば、我々は自ら信じていることを何よりもまず知らなくてはならない。
…我々が本当に生き残り得るかどうかは、世界の中で十分強い部分を再び共通の理想の下に集める我々の能力に依存するであろう。
~ F.A.ハイエク(イギリスの経済学・法哲学者、ノーベル経済学賞受賞)『自由の条件』(1960年)
<目次>
■初めに
「リベラル」は「自由な」、「リベラリズム」は「自由主義」という意味なのに、何で社会主義の社民党が「護憲リベラル」で、中国や北朝鮮と仲の良い河野洋平や加藤紘一が自民党内の「リベラル勢力」なのだろう?オカシイと思ったことありませんか?
このページは「自由主義」と翻訳される「リベラリズム」の真実を探ります。関連⇒
ハイエクと自由主義 リベラリズムの真実
■古代ギリシャの自由
- 古代ギリシャ、とりわけアテネの人々が、人類の歴史で初めて、(2)閉ざされた全体主義的社会から、(1)開かれた自由な社会への扉を開いた。
- この(1)開かれた自由な社会、と、(2)閉ざされた全体主義的社会を、古代ギリシャの2大ポリスである(1)アテネ、と(2)スパルタに代表させてその特徴を図示しよう。
◆アテネ(開かれた社会)とスパルタ(閉ざされた社会)
都市国家 |
アテネ |
スパルタ |
要約 |
開かれた社会(自由主義) |
閉ざされた社会(全体主義) |
|
個人主義(indivisualism:個人は固有で不可侵の自由な領域を持つ) |
集団主義(collectivism:個人は全体に奉仕することが生の目的である) |
社会 |
流動的社会 |
固定的階級社会(カースト的) |
国家の性格 |
海上交易帝国・文化大国 |
自給自足社会・軍事立国 |
|
ペロポネソス戦争で民主制派諸都市のリーダーとなる |
ペロポネソス戦争で寡頭制派諸都市のリーダーとなる |
思想哲学 |
批判的方法論の発見→哲学の発展 |
固定的法制により思想の自由なし |
代表者 |
ソクラテス(哲学者)、ペリクレス(軍人)が代表者 |
レオニダス(軍人)、後にプラトン(アテネ貴族階級出身)がスパルタに憧憬 |
近代における評価 |
主にイギリスの自由主義者の理想となる |
デカルト、ルソー、ヘーゲルらの理想となる |
◆ペリクレスの追悼演説
- トゥキディディス『戦史』に描かれたペロポネソス戦争で戦死した兵士に対するペリクレスの追悼演説は、以降長きに渡って、「自由」と「デモクラシー」の精神の最も典型的な表明として、西欧知識人に親しまれ、彼らの精神を涵養し鼓舞してきたものである。
- ここには、19世紀末から20世紀初めにかけて、「自由主義(liberalism)」の意味内容が、社会主義者によって汚染され、思想の雑居状態となって無意味化されてしまう前の、「自由」と「デモクラシー」の真髄がある。
「我々の政治制度は他で実施されている諸制度と争うものではない。我々は隣国の模倣はせず、むしろ模範であろうとしている。我々の行政は少数者をではなく多数者を大事にする。このために民主制と呼ばれるのである。法律は私的な争いにおいては全ての人を同様に公平に扱うが、我々は卓越性の主張を無視するものではない。ある市民が抜きん出ているならば、彼は他の者に優先して国家に奉仕するよう求められることになるが、これは特権のゆえにではなく長所への報酬としてであり、貧しさが妨げとはならない。 …我々が享受する自由は日常生活にまで及ぶ。我々は互いに猜疑心を持つことなく、隣人が自分独自の道を選んだとしてもがみがみ小言を言うことはない。 …だが、この自由は我々を無法にするものではない。我々は為政者と法律とを尊敬し、また害を受けた者を保護しなければならないことを忘れないように教えられている。また我々は、何が正義であるかについての普遍的な感情にのみその強制力の根拠を持つ不文律を守るようにも教えられている。」 |
「我々の都市は世界に対して開かれており、我々は決して外国人を追放することはない。…我々は全く自分が望むままに生きる自由を持っているが、しかも常にどんな危険にも立ち向かう覚悟を持っている。…我々は美を愛するが幻想に耽ることはなく、知性を改善しようと努めはするが、このことは意志を弱くするものではない。…自分の貧乏を認めることは我々にとって恥ではないが、それを避けるよう努力しないことは恥だと考える。アテネの市民は自分の私事に精を出すときも公事を無視しない。…我々は国家に何ら関心を持たない人を無害と見なすのではなく無用と見なす。また、政策を立案するのは少数の者のみであるが、それを判断することは我々全てが出来るのである。我々は討論を政策実施の障害となる邪魔者とは見なさず、賢明に行動するための不可欠の準備と見なす。…我々は幸福は自由の果実であり、自由は勇気の果実であると信じ、戦争の危険をも辞さない。…要約すると、私はアテネがギリシャの学校であり、アテネの諸個人は成長するにつれて幸福な多才と非常時への覚悟と独立独行の精神を発展させるのだと主張する。」 |
■近代イギリスの自由
◆コモン・ローの伝統の中から生まれた「近代人の自由」
◇エドワード・コーク卿のホッブズ批判
「地上における我々の時代は、しかし、古代や過去の時代に対して言えば一つの影である。法は、その中で、最も優れた人々の叡智によって、何世代にも渡って、長い連続的な経験(知識と真理の審査)によって、精製、精錬されてきた。それは、どんな人でも一人では、(時間が短いので)一世代の間に影響を与えたり、獲得できないものである。たとえ、彼が世界中の全ての人々の叡智を持っていたとしても。」
「様々な慣用を通して、経験が法律を作った。」(法諺)
◆「法の下における自由」
◇ジョン・ロック『市民政府二論』
「法の目的は、自由を廃止、あるいは制限することではなく、自由を維持、拡大することにある。
なぜかというに、法律を定める能力のある生物にとっては、どんな場合にも、法のない所に、自由はないからである。
また自由とは、制約と他人による制限と暴力から免れることであり、それは法のない所ではあり得ない。
そして普通に言われているように、それは誰でもが望んでいることをする自由なのではない(なぜかというに、あらゆる他人の気まぐれが自分を圧制するかも知れないという時に、いったい誰が自由でありえようか)。
しかし自分の服している法律の許す範囲で、自分の望むとおりに、自分の身体、行動、財産、そして自分の全所有物を処理、指示し、その点で、他人の恣意に従うのでなく、自分自身の意志に従う自由こそが自由なのである。」
(解説)上記のロックの言葉のように、法律は「自由を守るためにある(=法の下における自由)」のではなく「自由を奪うためにある」という逆の発想が登場してきたのは、18世紀末から19世紀初めのJ.ベンサムの哲学的急進派の法理論からであり、それが一般化してしまうのは、19世紀末頃(ベンサムの弟子のJ.オースティンの人定法主義が優勢になったとき)なので、明治憲法が制定された当時は、「法律の留保」は「自由の制限」ではなくて、「自由を確保」するための文言と解釈されていたはずである。
明治憲法が、自由を「法律の留保」の範囲に制限し抑圧していた、という戦後のサヨクの論は、歴史的経緯に照らして事実ではない。
◇F.A.ハイエク『自由の条件』
「『法の下における自由』という概念の基礎になっている主張は次の通りである。」
「我々が法律に従うとき、一般的で抽象的な規則が我々に対するその適用に係わりなく規定されているという意味において、我々は他人の意志に従っているのではなく、自由なのである、ということである。」
「立法者は、その規則が適用される個々の場合を知らないし、また法を適用する裁判官は、現存の規則体系と、事件の特定の事実から生ずる結論を引き出すにあたり、何の選択もしないのだからこそ、人ではなく、法が支配する、と言えるのである。」
◆自由とは強制のないこと
「自由の基本的な意味は、鎖からの、投獄からの、他人への隷属からの自由であり、これ以外の意味は、この意味からの拡張か、さもなければ比喩である。」
「自由になろうと努めるとは、妨害を取り除こうとすることであり、個人の自由のために戦うとは、その人の目的ならね他人の目的のために、他人に干渉され搾取され隷属させられるのを抑制しようとすることである。」(ともにI.バーリン)
■革命フランスの自由
◆引用
◇H.アレント『革命について』(1963)
「歴史的に言えば、アメリカ革命とフランス革命のもっとも明白で、もっとも決定的な相違は、アメリカ革命の受け継いだ歴史的遺産が「制限君主政」であったのに対して、フランス革命のそれは、明らかに…絶対主義だったということである。実際、革命は、それが打倒する統治形態によって前もって決定されるということくらい当然なことはないように見える。従って、新しい絶対者たる絶対革命を、それに先行する絶対君主政によって説明し、旧支配者が絶対的であればあるほど、それに代わる革命も絶対的となるという結論を下すことくらい真実らしく思われることはない。18世紀のフランス革命と、それをモデルにした20世紀のロシア革命は、この真実らしさの一連の表現であると考えることは容易であろう。」
■自由の2つの伝統
一般に、①イギリス経験論と②大陸合理論の対立(
解説ページ)と呼ばれますが、「自由」の概念を巡って、①主にイギリス・アメリカなど英語圏で発展した価値多元主義的な思想と、②主にドイツ・フランスなど欧州大陸で発展した価値一元主義的な思想の対立がある。
◆自由を巡る西洋思想の二つの流れ
※矢印(→・↓など)は影響関係
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価値多元論(批判的合理主義) |
価値一元論(設計主義的合理主義) |
古代~中世 |
無知の自覚 ・ソクラテス |
中世ゲルマン法の伝統 ・マグナ-カルタ |
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キリスト教的自然法論 |
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理想国家論 ・プラトン |
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↓ |
↓ |
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↓ |
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↓ |
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↓ |
16~17世紀 |
モラリストの懐疑論 ・パスカル |
コモン・ロー司法官/法律家 ・コーク |
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近代自然法論 ・グロチウス |
→ |
社会契約論1 (君主主権) ・ホッブズ |
← |
理性主義(一元論、決定論を含む) ・デカルト ・スピノザ |
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・モンテーニュ |
・ブラックストーン |
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↓ |
|
↓ |
↓ |
↓ |
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↓ |
↓ |
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・マンデヴィル |
・ペイリー |
→ |
社会契約論2 (国民主権) ・ロック |
↓ |
↓ |
|
↓ |
↓ |
|
↓ |
・ヘイル |
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↓ |
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↓ |
↓ |
|
↓ |
↓ |
18世紀 |
スコットランド啓蒙派 ・ヒューム ・A.スミス |
|
|
↓ |
|
|
↓ |
社会契約論3 (人民主権) ・ルソー |
フランス啓蒙派 ・ヴォルテール ・百科全書派 |
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↓ |
↓ |
↓ |
↓ |
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↓ |
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↓ |
↓ |
|
↓ |
↓ |
↓ |
フランス革命以降 |
近代保守主義 ・バーク |
↓ |
フェデラリスト ・ハミルトン |
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↓ |
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功利主義 ・ベンサム |
|
ドイツ観念論 ・カント |
空想的社会主義 |
無政府主義 |
|
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↓ |
・マジソン |
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↓ |
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・J.S.ミル |
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・フィヒテ |
・サン-シモン |
・バクーニン |
19世紀 |
|
歴史法学派 |
↓ |
|
↓ |
|
・スペンサー |
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・ヘーゲル |
・フーリエ |
・プルードン |
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・トックヴィル |
・サヴィニー |
アメリカ的保守主義 |
|
↓ |
|
↓ |
↓ |
↓ |
|
↓ |
↓ |
↓ |
↓ |
↓ |
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・メイン |
・マーシャル |
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↓ |
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人定法主義 |
フェビアン社会主義 |
新ヘーゲル主義 (プラトン的理想主義) |
ヘーゲル右派(民族重視) |
ヘーゲル左派 (唯物論重視) |
↓ |
↓ |
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・ケント |
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↓ |
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・オースチン |
・S.ウエッブ |
・グリーン |
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↓ |
↓ |
↓ |
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↓ |
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・ショウ |
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マルクス主義 ・マルクス ・エンゲルス ・第一インター |
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・アクトン |
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↓ |
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・ケルゼン |
↓ |
↓ |
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↓ |
↓ |
↓ |
↓ |
↓ |
20世紀 |
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↓ |
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・シュミット |
リベラル社会主義(ニュー・リベラリズム) ・ホブハウス |
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↓ |
ナチズム ・ヒトラー ・ローゼンベルク |
マルクス-レーニン主義 ・レーニン |
西欧マルクス主義 ・グラムシ |
修正社会主義(社会民主主義) ・ベルンシュタイン |
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↓ |
↓ |
↓ |
↓ |
|
↓ |
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・ケインズ |
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↓ |
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・第三インター |
・ルカーチ |
・第二インター |
第二次大戦以降 |
現代保守主義 ・オークショット |
再興自由主義 ・ハイエク ・ポパー |
→ |
リバタリアニズム (自由至上主義) ・ノジック |
|
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・ベヴァリッジ |
→ |
平等論的リベラリズム ・ロールズ ・ドォーキン |
コミュニタリアニズム (共同体主義) ・サンデル ・ウオルツァー |
・コミンフォルム |
・フランクフルト学派 |
・コミスコ |
価値多元論(value-pluralism)⇒人々を「自由」に導く思想 |
価値一元論(value-monism)⇒人々を「隷従」に導く思想 |
個人主義(individualism) |
集産主義(collectivism:集団主義) |
歴史・伝統重視の思想 |
集産主義ではないが理性による究極的価値への到達を説く思想 |
※個人主義(individualism)がなぜ歴史・伝統重視の思想につながるのかの説明は 「個人主義」と「集産主義」 参照
※価値多元論(I.バーリンの用語)は、批判的合理主義(critical rationalism:K.R.ポパーの用語)に重なる。
※価値一元論(I.バーリンの用語)は、設計主義的合理主義(constructivist rationalism:F.A.ハイエクの用語)に重なる。
◆アイザイア・バーリン『自由論』による解説
|
消極的自由(negative freedom) |
積極的自由(positive freedom) |
要約 |
強制のないこと |
自律(自己決定)…「自由」とは実は別概念 |
定義 |
主体が他者から干渉を受けずに放任されている、という意味の自由 「~からの自由(freedom from …)」 |
単に強制・拘束を受けない、というだけでなく、主体が自己を能動的に律する(自律)という意味での自由 「~への自由(freedom to …) |
代表者 |
|
ルソー(「自由への強制」)、カント |
|
価値多元論 |
価値一元論 |
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アインシュタイン的世界観(相対論) |
ニュートン的世界観(決定論) |
|
真正自由主義 |
全体主義へ至る危険性 |
◆ハイエク『自由の条件』による解説
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自由のイギリス的伝統 |
自由のフランス的伝統 |
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経験的、非体系的(イギリス経験論) |
思弁的、合理主義的(大陸合理論) |
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自生的に成長してきたが不完全にしか理解されなかった伝統と制度の解釈を基礎としている |
ユートピアの建設を目指すものであり、しばしば実験されてきたが、未だかって成功していない。 それにも拘らず次第に影響力を増してきた。 |
|
正確さと明晰さの足りないイギリス的自由の伝統は衰退してきている。 |
人間の理性の無限の力について自惚れた想定に立つフランス的伝統の合理的で、もっともらしい、そして外見上論理の通る議論。 |
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一方は自発性と強制のないことに自由の本質を見出し |
他方は、ある絶対的な集合的目的の追求と達成においてのみ自由が実現されると信じている。 |
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一方は有機的で緩慢な半意識的な成長を支持し |
他方は教条的な目的意識性に味方する。 |
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一方は試行錯誤の手続きを支持し |
他方はもっぱら唯一妥当な型の強制を支持する。 |
|
アテネ的、ソクラテス的 |
スパルタ的、プラトン的 |
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消極的自由「~からの自由」 |
積極的自由「~への自由」 |
- 「二つの伝統が最終的に混同されたのは、それらが19世紀の自由主義運動に融合したときであった。」(ハイエク)
◆その他の思想家による解説
◇J.B.ベリー(アイルランド)『進歩の観念』(1920)
「こうして進歩の理論は、二つの異なったタイプに分化し、根本的に対立する二つの政治理論に対応し、そして、ふたつの敵対する気質に訴える。」
「一つのタイプは、設計主義的理想主義者や社会主義者のそれで、彼らが直ぐ近くにあると想像する『黄金の町』のすべての通りや塔に名前をつけることが出来ると彼らは考える。人間の発展は閉鎖システムであり、その限界は既知であり、到達し得る範囲にある、と考える。」
「他のタイプは、人間の漸進的向上を調べ、人間をこれまで導いてきた書力の相互作用によって、また、人間が戦い、勝ち取ってきた自由の一層の発展によって、人間は調和と幸福を増大させる状態へと徐々に向かっている、と信じ込んでいる人々のタイプである。ここでは、発展は無限で、その限界は未知であり、はるかに遠い未来にある。個人的自由が、その原動力であって、そして、それに対応する政治理論は自由主義である。」
◇A.de トックヴィル(フランスの歴史哲学者)『アメリカのデモクラシー』(1835-40)
「18世紀以来、また革命以来、二つの流れが現れた。」
「第一の流れは、人々を自由の制度に導いたが、これに対し、第二の流れは、人々を絶対権力に導いた。」
◇T.E.メイン卿(イギリスの歴史法学者)『ヨーロッパのデモクラシー』(1877)
「現代におけるフランス史は、デモクラシーの歴史であって、自由の歴史ではない。」
「これに対して、イギリス史は、自由の歴史であって、デモクラシーの歴史ではない。」
◇H.ケルゼン(ドイツの実定法学者)『デモクラシーの基礎』(1955)
「タルモンが、自由主義的デモクラシーと全体主義的デモクラシーの緊張として描く対立は、実を言えば、自由主義と社会主義の対立であって、2種類のデモクラシーの対立ではない。」
■自由主義とデモクラシー(民主政治)の関係
◆引用
◇F.シュナーベル『19世紀ドイツ史』(1933)
「自由主義とデモクラシーは、また互いに排除しあう対立物ではなく、二つの異なった事柄を扱うのである。」
「すなわち、自由主義は、国家活動の範囲について、そしてデモクラシーは、国家主権の保持者について、それぞれ語るのである。」
◇オルテガ・イ・ガセット『無脊椎のスペイン』(1937)
「自由主義とデモクラシーは、たまたま最初は互いに何の関係もない二つのものであり、様々な傾向に関する限り、最後には、互いに対立する意味を持ったものとなっている。」
「デモクラシーと自由主義は、全く異なった二つの問題に対する二つの解答である。」
「デモクラシーは次の問題に対する解答である。すなわち『誰が公権力を行使すべきなのか』という問題に対して」
「そして、それが与える解答は、その公権力は集団としての市民に属す、というものである。」
「しかし、この問題は、公権力の範囲はどうあるべきか、について何も触れていない。デモクラシーが提案しているのは、我々全てが統治者である、すなわち、我々は、全ての社会的行為において主権者である、ということである。」
「他方、自由主義は、次のような別の問題に対する解答である。」
「すなわち『誰が公権力を行使するかに拘らず、その限界はどうあるべきか』という問題に対してである。」
「それが与える解答は、『公権力が独裁者あるいは人民によって行使されても、公権力は絶対的なものではありえない。すなわち個人は、国家を超えた、また、国家のいかなる介入をも超越した権利を持っている』というものである。」
■参考図書
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■ご意見、情報提供
- ロックの自由観が間違ってるような気がしますね -- あ (2010-07-26 07:43:35)
■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ
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最終更新:2010年10月08日 02:54